りぼん − 2




「あかね?・・・何してるのこんなとこで」


・・・・え?


自分の名を呼ぶ声に無意識のうちに振り返ると、驚きを隠せない顔のままの頼久と目が合った。何を思ったのか、あかねは頼久の顔を見た途端、ぶつかったままの視線を慌てて逸らすと、今入ってきたばかりのエントランスへと向かって走り出した。


「あかね、待って。」


だが、走り出したあかねの足よりも頼久の方がほんの少し早く、すぐに追い付くと、その大きな手であかねの手首をしっかりと掴み、そのまま自分の胸へと引き寄せた。
有無を言わせない頼久の腕の力強さと、それでいて決して怒ってはいない瞳。

・・・どうして逃げようとなんてしちゃったんだろう・・・

あかねはそのまま身じろぎもせず、されるがままに頼久の胸に顔を寄せる。そこにはいつも通りの心地好い温度と、かすかに鼻をくすぐる煙草の匂い。自分の知っているいつもの頼久に包まれて、あかねは自分がとった行動に納得のいかないまま困ったような顔で頼久を見上げて首をかしげる。


「どうしちゃったのかな?おかしなお嬢さん。・・・ほら」
「あ・・・」

頼久は抱きしめていた背中から腕を解くと、乱れてしまっているあかねの前髪を指先で直しながら、少しふざけたような声を出す。あかねは、あらわになった額に冷えた空気を感じていた。


「心配したよ。事故にでも合ったんじゃないかってね」
「ごめん、ぜんぜん大丈夫だから」

極めて明るい声でそう言う頼久だったが、その明るさが余計に頼久の思いを鮮明に表していた。あかねもそれに気付き素直に謝る。


「ならいいんだけど」
「ほんとごめんなさい・・・。頼久さんに連絡するのすっかり忘れちゃって」
「携帯も何度も鳴らしたんだけどね」
「え?嘘っ」

あかねの手がバッグの底をゴソゴソと探る。掴み上げた携帯電話をパカっと開くとそこには頼久からの着信記録が何件も残されていた。


あ・・・・


「ごめん・・・気が付かなかった・・・鳴ってたんだよね、きっと」


あかねが携帯電話をじっと見つめる。その様子に頼久は笑いながら「困った子だな」と一つ息を吐く。そしてクスリと笑った。


「まあそれだけ急いで来てくれたってことなんだから、今日は素直に喜んでおくよ。それよりあかねはずっとここにいるつもり?俺はそろそろこの寒さ限界」
「あ、あたしも、もうこの寒さは限界」
「だろ?それではお嬢様、我が家へご案内いたしましょう」
「あはははっ、やだー頼久さんっ。冗談ばっかり」
「・・・やっと笑ったね」
「え?」
「ん、何でもないよ。やっぱりあかねは笑ってる顔が可愛いなと思ってさ」


頼久の思いがけない言葉にあかねの顔が真っ赤に染まった。「それだけじゃ・・・ないけどね」と続けた頼久の言葉は最早あかねの耳には届いてはいなかった。

自分の肩を抱き、エスコートの真似事をする頼久は本当に素敵だと思う。見上げればすぐに包み込むような優しい眼差しを返してくれる。それは自分を恥ずかしいようなくすぐったいような気持ちにさせて・・・そのくせ何度も味わいたくて「どうしたの?」と言われるまで繰り返し頼久の瞳を覗き込んでしまう。

初めて頼久と出会った時から・・・目が離せなかった。
惹かれていると気付くまで時間なんてかからなかった。

けれど、自分よりもうんと大人で、素敵で・・・あかねはそんな頼久が自分のことを相手にしてくれるなんて思ってもみなかったし、自分に気付いてくれればいいと、それ以外に何も望んだりなんかしないと、そう決めていた。

頼久ならば自分など相手にしなくても素敵な人がたくさんいる。きっといつかその誰かを選んで自分の前から消えてしまう。わかってはいてもその現実を見たくなかった。
頼久を好きだと、自分の気持ちを認めれば、きっと、もっと、欲しくなって、好きだけじゃ足りなくなる。きっとそうなる。その時に傷つくのは嫌だから。不安を抱えながら好きでいるのが怖いから・・・それでもきっと諦めきれないから・・・そんなあさましい自分なんて見たくない。

だからずっとずっと頼久には自分の気持ちを伝えることができなかった。
それなのに・・・

-----好きです

ある日あかねは頼久にそう告げられた。


「俺がこんなこと言ったら・・・あかね困る?」


困る、困る・・すごい困るよ。そんなこと言われたら困る。
どうしていいかわからないもん。私、困った顔してるでしょう?
頼久はあかねの困った顔を見つめる。嬉しさを隠せないのに困ったような顔を。その顔に、頬に、優しい指が伸びて、


「ねえ、困る?」


もう一度、訊かれたとき、あかねは頼久の胸に飛び込んでいた。


見つめれば返される優しさが嬉しくて、自分だけに向けられる瞳が嬉しくて、あかね・・と、そう呼ばれる声に心が震えた。その優しさに、瞳に、声に、あかねが勝手に溜め込んでいた不安はだんだん溶けていって、今では頼久の傍にいる時間が一番自分らしいとさえ思える時すらある。


そして、バレンタインを恋人同士として一緒に過ごそうとしている今、あかねは抱かれた肩から伝わる温もりに、素直に寄りかかっていた。
不安など一つもあるはずなかった。


けれど・・・

自動ドアを渡りかけたとき、あかねの視界にピンク色の包みが飛び込んできた。さっき頼久が来る前に見たのと同じ、郵便受けから飛び出している、リボンのかかったピンク色の包み。

綺麗で上品で華やかな贈り物・・・誰がもらうんだろう・・・

見たくないのにどういうわけか見てしまう。そして突然に理由のわからない不安に駆られて足が止まった。


どうして見てしまうんだろう・・・どうして気になるんだろう・・・


「あかね、どうしたの?行くよ」
「う、うん」


頼久の声に弾かれるように、あかねは大きく頭を振ると前を向き、もう郵便受けのほうには目を向けずに頼久とともにエレベーターに乗り込む。
けれど既に目に焼きついたその存在は、いつまでもチクチクとあかね胸を突き刺していた。






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