[秘密のバスルーム ・ 2]



 里緒と入れ替わりのように、風呂へ入る。
 既に乾き始めたタイルと、ぬるめの湯温に、やはり里緒が長時間ここにいたと確信した。

 ちゃぷん。ちゃぷん。

 悩みがあるのだろうか。俺にも言えない悩み。いや、俺だからこそ言えない悩みでもあるのだろうか。
 里緒の言葉が確かならば、職業柄、一番に気になってしまう病気に関する悩みでないことだけは救いだった。もしも、もしもどこか具合が悪いのだとしたら、それを気にしていたのだとしたら、毎日ではないとはいえ、こうして顔付き合わせて暮らしている自分が、それに気付けなかったことを情けなく思っていただろう。
 悩みならば。年頃の女の子らしい悩みならばそれでいい。そのほうがいい。
 そのほうがいい、そう自分に言い聞かすように俺は手にすくった湯で顔を何度も洗った。
 
 でも、あれはショックだぞ。

 「触らないで」

 一瞬、聞き間違いかと思った里緒の言葉。
 別にいやらしい気持ちで肌に触れたわけじゃないのに。そりゃあまあ確かに、今週は何かとハードで、このマンションにも着替えに帰るくらいだったし、その時だって里緒はいつも風呂入ってるし。正直、里緒が恋しくて…まあ、だから今日も風呂の長さに苛ついたわけだけど、実際に言われると結構なダメージだった。
 手なんかサっと引いちゃって。しかも、あんな顔で。まじめな顔して拒否されるなんて・・・
 俺、何かしたか?里緒の態度も、言葉も、表情も、気になって気になって仕方が無い。
 先週の休みは、確か・・・あいつと一緒に眠ったよな?そうだよ、目が覚めた時に「ここはどこだ?」って思って、すぐに自分のベッドだって気付いたけど、隣でまだ眠そうな声を出している里緒の顔が見えて……そうだよ、思わずキスしちゃったんじゃないか。あの時は嫌がらなかったくせに…
 俺がいない間に何があったっていうんだ。

  「あーっ、もう何なんだよ一体」

 わざと温度を高めにして、頭から思い切りシャワーを浴びる。痛いくらいの熱さがかえって気持ちを落ち着かせた。ふと顔を上げれば、目の前の鏡は白く曇っていて、手のひらでこすった部分だけに自分の顔が映った。
 そうだよな。これが普通だよな。
 里緒が使った後の鏡には、曇り一つ、水滴一つ残っていなかった。それだけ長い時間、バスルームにいた、ということなのだろう。で、そこで何をしていた?
 結局、疑問はそこに戻っていった。


 風呂からあがり、水を飲もうと台所に行くと、そこにはパジャマに着替えた里緒がお湯を沸かしているところだった。
 「コーヒー?」
 「ううん、紅茶」
 「そっか」
 「うん」
 どことなく気まずい。
 「涼兄、あ、あの、コーヒー淹れようか?あ、それとも、ゆ、夕ご飯まだ食べてないとか?」
 里緒もまた同じような気まずさを感じているのだろう。声の細さとは裏腹に、ギュっと堅く握られた両手にもそれが現れている。

 困らせるつもりはないんだ・・・ただ、そう、ただ心配なだけで。

 「いや、俺も紅茶でいいよ。たまにはね」
 「え、めずらしい」
 里緒を安心させるように、笑顔をつくる。
 「これにお願い」
 自分のカップをテーブルに置いた。
 「それから…里緒、やっぱちゃんと話しよう」
 一瞬ゆるんだ里緒の瞳に再び緊張が走る。
 「別に怒ってるわけじゃないから、それに言いたくないことは言わなくたっていいし」
 「うん、でも」
 「もちろん言ってくれたってかまわないけどさ。そこらへんは里緒にまかせるから安心して。だいたいさ、この一週間ろくに話してないじゃないか、俺たち」
 「だって、涼兄忙しすぎるんだもん」
 「今週は特に、だな。だから、ほら話ししよう。恋人同士の会話ってやつだ」
 「何それ、馬鹿みたい」
 「馬鹿で結構。あ、それから、夕飯の心配もいらないから」
 
 椅子に座りながらカップを手にとり、もう一度「これにお願い」と音を立ててテーブルに置く。「涼兄の夕飯の心配なんかしてないもん」という声は、あえて無視することにした。「なんだよ可愛いくないな」という思いも、もちろん隠したに・・・決まっている。




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