| Secret Bathroom |
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里緒と一緒に暮らし始めて早くも半年が経つ。 半年も経っているというのに、つい最近になって初めて気が付いたことがある。それは、里緒が長風呂だってことだ。 「それにしても女の子っていうのは大変なんだな」最初はそう思っただけだった。 (もちろん年頃の女の子ならば皆そうなのかもしれないが) 研修医である自分と、いまだ高校生の里緒。 互いへの想いが同じと知った時、俺は里緒と一緒に暮らすことを決めた。その時の自分の判断には何の躊躇いも感じなかったし、今も間違っていたとは思っていない。ただ、確かに甘いと言われれば甘すぎる関係ということはわかっているつもりだ。 研修医の給料なんて有って無いようなもの。実際、その額は少ないし、ファーストフードのアルバイトのほうが自給に換算すれば数段上になる。 上の者に言わせれば、研修医とは文字通り研修させていただいている身なのだから貰えるだけありがたいと思わなければならないらしい。だから、まあ、それでもこうして狭いながらマンションを借り、学生の里緒と二人で暮らしていけるのは、当直と言う名のアルバイトがあるお陰だった。 大学病院での研修・・・・・・外来、入院患者の診察、担当患者の状態の把握、チームの成績、研究、そしてレポート作成、諸々の会議の段取り、それらを全て終えて一日は一応、終わる。そして週に何度かは、夜勤当直のバイトへと行っていた。 バイト先となるのは大抵は中規模の総合病院。大学病院ほどの設備はないが、その地域では頼りとされ急患受付を行っているところ。そして、そこで俺が診なくてはならない科は・・・全部だったりすることもある。 そもそも、他に何人も医者がいるならば、わざわざ高い金を払って研修医などを雇ったりはしない。深夜、その病院から医者が足りなくなったり、時に一人もいなくなるからこそ、俺のような若い研修医はバイトにありつける。 その夜に仮眠が取れるか取れないか、それはもう運としか言えないだろう、もちろん夜勤明けだなんてものも無い。 ちなみに仮眠室にはよくテレビが置いてあったりするのだが、そんなものを見ている暇があるならば、一分でも一秒でも眠りたいと思うし、僅かな時間であろうとも、すぐに眠れる奴しかこの世界ではやっていけない。寝付きの良さも医者の才能のひとつだと教わったし、実際の現場は思った以上に体力勝負の世界だった。 バイトが終われば、また研修へ戻る。 時間があれば朝、シャワーを浴びに家に帰ることもあるが、大抵の場合は、そんな余裕は無く、病院と病院の間を往復しているだけだった。それを苦痛だとは思わない。何故なら、それは自分だけが特別な立場ではなく、みんな、そうだったからだ。 例え、バイトの無い日であったとしても、もしも患者の様態に変化があれば、それが深夜であろうと早朝であろうと、真っ先に呼び出されるのは俺のような下っ端の研修医だ。 「今時、そんなの持ってんのって涼兄くらいじゃない?」と里緒によく笑われるポケベルで呼び出される。 とにかく、研修医とはそういう存在であるし、この世界は、良くも悪くも、伝統を重んじていることに間違いはない。 そんな日々を送っている俺にとって里緒は、一緒に暮らしているとはいえ、その存在はまだ時折会える大切な恋人、といった感情の方が大きかった。 けれど、家に帰った時に感じるのは『自分以外の存在』という空気のようなもの。空気なんて言うとまた里緒は文句を言いそうだけど、俺にとって里緒は空気そのもので、それを感じることにはすぐに慣れたし、正直すごく心地いい。 「ただいま、里緒」 だからこそ、たまに早く帰れた日は、玄関を開ける前から心は躍る。 早く早く。一分でも一秒でも早く顔を見たかった。 「あれ?いないのか?」 気付かぬうちに眉をひそめていた。 ドアを開けたならばすぐに『涼兄お帰りィ〜』という里緒の真ん丸い笑顔を見れると決めてかかっていた。が、里緒の姿は見えず、もちろん声も聞こえない。 「おいおい、なんだよ、また風呂なのかぁ?」 ここ最近いつもこうだ。 俺が家に帰るとまるで示し合わせたように、里緒は入浴中。玄関の電気を付ける前に、必ずといっていいほど暗い廊下にバスルームから明かりが漏れているのが見えた。 バスルームの前に立つ。 「待ちくたびれちゃうよ」 目の前のドアの横にはスイッチプレート。上から順に洗面所の電気、浴室の電気、換気扇だ。一番下の換気もONになっている。その証拠ともいえる小さな赤い光りまで恨めしく見えてきて指先で軽くはじいた。 「おーい」 確かに、里緒の入浴時間は長かった。そして出てくるのを待っている今、それは実際の時間よりも長く感じる。 「お姫様〜?どこ洗ってるんですかぁ?」 冗談まじりに叫んだ言葉もバスルームの里緒には聞こえない。 仕方ないか。 ドアの前で待っていても、里緒の出てくる気配はない。仕方なくあきらめて、着替えるために自分の部屋へと向かう。だが、廊下を一歩踏み出した瞬間、あれ?と首をかしげた。 「ん・・・なんだ?」 何がおかしいのか自分でもよくわからないまま、頭の中に、大きな疑問符が浮かんでいた。何がどうと言葉できないのだが、どことなく違和感を感じる。そう違和感だ。 里緒は今、風呂に入っている・・・ 普通ならば、シャワーの音くらいしてもいいはず。いや、それ以前に、玄関に入る前に、換気口から湯気が出ていてもおかしくないはずだ。 ・・・・・・じゃあ、なんでこんなに静かなんだ? 「里緒?」 バスルームのドアに手をかけるのと、中から里緒が出てきたのは同時だった。 「あ、涼兄。帰ってたんだ」 「あ、ああ」 「おかえりなさい」 「なぁ、里緒」 声の調子がどうも思いつめたように響いてしまう。そんな俺の顔を里緒がじっと見て、それから慌てたように自分の胸元に目線を落とした。 「あ」 それにつられたわけじゃないが、俺も里緒の胸に目線を落とした。 「や、やだ。恥ずかしいじゃない!そんな見ないでよ。私、着替えてくるからっ」 怒鳴りながらも頬を赤く染め、里緒は自分の部屋へと逃げるように駆け込んでいった。 よほど慌てたのか、閉められなかったバスルームのドアの隙間から中が見える。 やはり・・・鏡は、曇っていない。 「ちょっと待てって」 「え!」 「お前な〜んか隠してるだろ?」 「な、何にも隠してないよ。何でもないから早くあっち行ってよ」 「そうかな」 「本当に何でも無いんだってば。涼兄の心配することなんかじゃ…」 着替えてくるから、と俺の前を駆け抜けようとした里緒を部屋まで追いかけて、問い詰めてみれば「何でもない」の一点張り。 確かに具合が悪そうには見えないし、逆に紅潮した頬は血色が良すぎるくらいで健康そのものだった。 悪い癖だな。 職業柄か、すぐに人の顔色を見ることが癖のようになっている。まあいいさ。何でもなければそれに越したことは無いんだから。 「ならいいけど」 「ね、もういいでしょ?」 「わかったよ、でもお前早く着替えないと」 風邪ひくぞ。 無意識に触れた里緒の肩は、頬の赤さからは考えられないくらい冷え切っていた。 なんだよこれ。 怒鳴ろうとして寸前で止めた。いや、里緒に止めさせられた。 「っ、あっ、や、触らないで」 里緒は、びくっと身じろぎをして俺から離れようとした。拒否しているように見えたのは勘違いだろうか?里緒の姿を見ながら思わず息をとめた。 触らないで…? なんなんだ一体。 俺が避けられなければならない理由があるなら今すぐ見せてほしい。 「どうした?里緒?お前本当におかしいぞ」 「・・・」 「里緒」 「・・・」 「里緒、いい加減にしなさい」 多少、語尾を荒げる。 「・・・」 里緒からの非難はなかった。 返事は無しか。それとも、返事すらしたくないってことなのか? それでも今は、里緒に早く服を着せなければならない。触れた肌は洒落にならないくらい冷えていたんだから。 「とにかく早く服を着ろ」 感情を押し殺して、それだけを言う。 里緒は視線を足元に下げたまま、唇をギュと噛み締め小さく頷いていた。 |
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