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「その薄汚い手をお離しなさい。ワタクシはロザリア・デ・カタルヘナよ。あなたのような男が触れる事など許しません!風の守護聖様があなたに制裁をくわえてよ」
誇り高く、美しいロザリアがそこにいた。
彼女は目の前の男が、ランディだとは認識していなかった。
憎悪にも似た悪意ある瞳が、ランディを傷つける。
「ロザリア!」
駆け寄るアンジェリーク。
先ほどまでと、うって変わった笑顔に変貌するロザリア。
「アンジェリーク!?まあ、遊びに来たの?あら、ゼフェル様もご一緒なのね。でも・・・どうしたの?アンジェ。何で泣いてるの?……ゼフェル様、アンジェに何かなさったの?ワタクシ許さなくってよ!」
「何にもしちゃいねーよ。安心しろ」
「そうよ、私久しぶりにあなたと会えたものだから、嬉しかっただけ」
「まあ、昨日もパスハさんのところで一緒だったでしょ?久しぶりだなんて、ほんと変な子ね」
はっとしたように、アンジェリークが答える。
「そうよ…ね。ふふ、私ったら、またヘンテコな事言ってるね」
そうやっておどけたアンジェリークは深い悲しみに暮れていた。
ゼフェルも同じだった。そして、ランディも…………
ロザリアは今でも「女王候補生」だった。
アンジェリークが『ここにしばらくいるから』と小声で男性ふたりに退室を進言したので、ランディとゼフェルは元の部屋に戻った。
「いつもじゃないんだ。普段はずっと塞ぎ込んで誰とも口をきかないし、一気に怒りが爆発するとあんな風に物にあたる。夜眠る時はおとなしくて…その…俺の事がわかるみたいな感じがする。そばにいて欲しがるし」
「けど、アンジェリークの事や俺の事はいつだってわかってる。お前だけがいつも認められてねーだろ?それを何年続けてるんだ!」
ランディには何も返す事葉などなかった。
長い…とても長い時間、ああなったロザリアと共に暮らして来たから。
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サクリアを持つものに、自害など許されるはずもなかった。
ロザリアの心に反して、彼女の持つサクリアが、数十メートルの高さからの落下を無意識に庇っていた。
彼女は全身を打撲したが、骨の1本も折れることはなかった。
その打撲でさえ、先代の陛下のお力により数日間で完治してしまったのだ。
そして、アンジェリークが女王に就任した。
先代補佐官ディアは最後にこう言った。
――――サクリアは彼女の肉体を護りました。しかし、壊れた心は修復する事は出来なかった。もう2度と元に戻れないかも知れません。彼女を下界に返しますか?あなたが決断するようにと陛下のお召しです。そして、守護聖達一同の言葉でもあります。――――
ランディは答えた。
『俺達ふたりは、下界で結ばれました。決して離れられません。もうロザリアは俺の妻です』
誰も彼に反論はしなかった。
空虚な瞳でどこかを見つめるロザリアに、アンジェリークが花嫁衣裳を着せて、ランディと二人だけの結婚写真を撮る。式には全守護聖が立ち会った。
『おめでとう』の言葉など言えるはずもない。
ただ、ランディのこれからの長く辛い旅路に、少しでも幸あらんと願うだけで。
館の使用人達は頭の良い人間達だった。
突然やって来た主の花嫁が“普通」”ではないと知りつつも、“奥様”と敬い、時々起こる発作で暴れ出しても、精一杯尽くした。
それは主のランディの悲しい恋を皆知っていたからだ。
試験中の日の曜日にいつもランディと、仲良く館の庭園で過ごしていた、美しく知的なロザリアを彼らは知っていた。館の主の可愛い初恋をこぞって応援していた使用人達だったのだ。
どんなに年月が経っても、風の館の者達は「普通ではない」奥方に普通に接していた。
サクリアを持つ守護聖として、首座として、また補佐官のいない現女王の補佐役として少しの時間の余裕もないランディには、館に帰ると“妻”の世話という大仕事が待っていたのだ。
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「サロンで若い奴らがお前の批判をしてた。確かにお前は日に日に厳しくなって行く。昔のお前は真面目ではあったけど、人の話に耳を傾けたじゃんか」
ゼフェルが昔の自分をそんな風に見ていてくれたのを初めて知った。
こんな時でなければ抱きついてしまいたいくらいなランディ。
確かにここ数年、ロザリアの一日の気性の変換が激しくなるにつれて、ランディの気が立っていたのは事実だった。若い守護聖に葛を入れた後の虚しさはたえられないものだった日もあった。
「アンジェリークと俺がロザリアを連れてく。下界には良いカウンセラーがいるかも知れねぇし、環境が変わった方がもしかしたらって可能性だってある」
「無理だよ。あのルヴァ様でも治せなかったし、サラさんにも暗闇ばかりで占えないって、はっきり断言されたんだ」
ゼフェルにもわかっていた。今も語り継がれる知識の泉であるルヴァにも、その後右に出るものはいなかったと謳われる龍族の伝説の占い師サラでさえ、ランディに非力さを深く詫びる事しか出来なかったのだ。
けれど、何としても…どんな理由をつけても、ロザリアをランディから引き離さなければ風の守護聖の聖地での暮らしは、“不幸・苦痛・悲しみ”しか残すことが出来ない。
かけがえのない親友に、自分とアンジェリークの恋を成就させたランディに、決してそんな思いをさせたくはない…と、今聖地を去ろうとするゼフェルは決意したのである。
ゼフェルの言いたい事、本当の気持ちはランディにはわかった。
ほんの少し…ほんの少しだけ…
自分は疲れきっているかも知れないと思う事がある。
もしかしたら…もし、ロザリアがいなければ…、自分の重責も少し軽くなるのだろうか…と、そんな風に…。
アンジェリークが戻って来た。
「たくさんおしゃべりしたら、眠っちゃったみたい」
「お前の方はどうだった?俺は今ランディにちゃんと話し終わったところだ」
「うん、私もロザリアに話した。嬉しいって言ってた。でも…『スモルニィに帰ろうよ』って誘うのが精一杯だったけど」
ランディはそれを聞くとうなだれる。
「首座のお前にはやる事があるだろ?半月経てば正式な新女王の戴冠式だ。もう眠る時間も飯を食う時間もなくなっちまうぜ、このままじゃ」
「ランディ…お願い。私ロザリアに故郷を・・・スモルニィを感じさせてあげたいの。このままここに置いて、あなたの苦しむ姿や、あの寝室に閉じこもる彼女の姿を、一生想像しながら生きていくのが、辛い」
ランディは二人の自分への気持ちを理解した。
そして、思い浮かべた。
ランディが“ランディ”だとわからないロザリア。
ランディが“薄汚い男”だと思うロザリア。
ランディが“ただの使用人”だと思うロザリア。
そして、夜…ランディが抱き締めてやらないと眠れないロザリア。
恋した少女、そして妻である女。
ランディは、そっと答えた。
「発つのは…明日にしてくれないか?持たせてやりたいものもあるから…」
その承諾を手離しで喜んでいない親友とその恋人がそこにいた。
ランディがどちらの答えを出したとしても、今この部屋にいる3人にとっては、悲しみでしかないのだから。…
寝室に隣接した広い空間。
美しいドレスが並べられた衣裳部屋。
そこには夜会用のイブニング、普段使いのドレスなど様々だった。
退位する直前までオリヴィエが、ロザリアに贈り続けたもの達。
すでに”普通”でなくなったロザリアであったが、その麗しい衣装に溜息をついたものだ。
(本当にオリヴィエ様はワタクシの好みを良くご存知だわ)
微笑みながら、ひとつひとつに手を触れて、柔らかでゴージャスな布の感触を楽しむ。ほとんど袖を通した事がないのが少し悔しいロザリア。
(ランディ様が外に連れていってくださらないからだわ。でも…もしかすると、ワタクシを他の方達の目に触れさせたくないのかしら?……いやだわランディ様ったら、ワタクシはランディ様だけのものなのに)
嬉しい悩みを抱えたロザリアだった。
(余所行きのドレスで、ランディ様とお食事がしたいわ)
だが、ふと…心に浮かぶ。
ランディが自分の傍にいる事が…いつあったか…
朝起きるとベッドはもぬけのカラで、しばらくして朝食を運んで来るのは見知らぬ青年。日中は自分を何故か“奥様”と呼ぶ執事やメイドが時々やって来るだけで、夕食の時間にはまた、あの見知らぬ青年がやって来る。
時々、とても馴れ馴れしく自分の手を取ったり、背中をさすったりするけれど、ランディが自分の婚約者の為に若い青年を雇うなんて理解できない。
(ワタクシに触れていいのはランディ様だけ…)
愛しいランディは、就寝の時間になってやっとベッドに滑り込んでくる。
そして、やっとロザリアは一日の最後にランディのぬくもりに触れる事が出来るのだ。
(確かにあの男は良く仕えてくれるけれど、ワタクシが傍にいてほしいのは…)
ロザリアの心に一瞬、あの青年と、愛しいランディの姿がダブる。
考えてみれば、あの青年はランディよりも自分の多くの時間に存在している。あれは…一体誰なのか。
(まさか…似ているなんて…そんなはずはないわ。)
それ以上深く考えようとすると、頭が痛くなる。体の体温が一気に上昇して、苛立って来る。誰かが話し掛けてくるのも気に触り、つい目の前にある物を投げつけたりしたくなる。
だが、そんな時ロザリアはいつも思う。
ワタクシのせいではない…悪いのは…ワタクシではない。
悪いのはランディ様…よ。
では――それは、何故?
何故ランディ様は悪いのか?
何かが脳裏に霞む。
けれど、それ以上は何も見る事が、思い出す事が出来ない。
(今は明日久しぶりに会えるスモルニィ仲間の事だけを思いましょう。楽しみだわ)
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「ランディ様、奥様がご入浴なさっておりますので、メイド頭が明日のお支度を整えております。他にお持ちになるものはございませんでしょうか?」
執事が寂しそうな声を出す。
アンジェリークとゼフェルが帰った後、ランディは執事に話をした。
明日ロザリアが発つ事、そして使用人達にそれを説明するように・・・と。
「ああ、メイド頭には指示してあります。他には何もないと思う」
「そうでございましょうか?本当にお忘れ物はございませんか?」
気になる執事の問いかけだった。
「何か…あるのかい?」
もう初老の執事は、深いシワに悲しみの色を漂わせる。
「これで…よろしいのでございましょうか?いえ、私はランディ様のご意向通りに動く立場の者にございますから、余計な事を申し上げる権利など…。しかし、」
老執事は、キリリと顔を上げた。その表情にランディは驚く。
彼はいつでもランディの為に働き、ランディと苦労を共にして来た存在だ。
だが、この表情は今までに見た事もない。
「奥様が下界を降りてお幸せになれるとお思いなのでしょうか?」
「ああ、ここに暮らすよりも良い事かも知れないさ」
とても投げやりな言い方ではあったが、もうこれ以上自分に成すべき事など見つからないランディの本音である。
「いいえ、違います。奥様ではなく、あなた様が…でございます」
「!?」
「あなた様の数年のご苦労は、この年寄りには充分わかっております。このままではお身体が持たないのではないか…と、心配でならないのは事実でございます。しかし、あの奥様こそが…あなた様を今まで支えていらしたように思えてなりません」
(ロザリアが…俺を支えてた?)
執事は諦めなかった。そして、話を続ける。
「塔の一件からロザリア様が療養中、あなた様は一切の面会を許されなかった。ですが、毎晩療養所の窓辺を塀の外から眺めていたあなた様を・・・・この爺は知っております。悲しみに暮れ、自らの命さえ厭うこともなく、不眠不休で食事も採らず…。あのままいけば、間違いなく宇宙は風の守護聖様を失ってしまうだろうと思えました」
執事の話は事実だった。
ロザリアが助かるのなら、自分の命などいらないと思っていた。
「奥様がこの家にやって来てからは、確かに明るくとはいかなくとも、確実にあなた様は生きていく気力をお持ちになった。奥様の面倒をご覧になる事で執務も生活も少しずつ“生きている人”としての時間を取り戻されたように見えました。もし…奥様がいなくなられたら、あなた様の生きる気力が失われてしまうのではないかと、この年寄りは心配で心配でなりません!!」
ランディは、その時はじめて想像した。
もしも…あの時ロザリアが逝ってしまっていたら・・・自分はどうしていたか?
もしも…この館にロザリアがやって来なければ、自分は今のように守護聖としての執務をまっとう出来ていたのだろうか?
ロザリアは自分がいなくては「生きていけない」のだと、自分がしっかりと生きなければと思う事が「生きる糧」となっていたのだ。
「ありがとう、あなたの言葉に感謝します。」
ランディは頭を下げている執事の肩にそっと触れる。
「で、では…?」
「いえ、ロザリアが発つ事には変わりはありません。自分の事よりも、もしも環境が変わって彼女にいい兆候が見られる事の方に俺は賭けたい」
「ですが、もし、そうでなければ・・・どうなさいます?その結果こちらに戻っていただくには、あまりの時間の流れの違いに…」
「頼む、もう止めてくれないか?これ以上この話を続けるのが…辛いんだ。」
その声は苦痛に満ちた搾り出すような声だった。
執事は主を問い詰めたような形になった事を深く悔いる。
「差し出がましい事を申しました。どうか、お許しください」
そう告げると部屋を出た。
それ程に自分の主は疲れているのだ…と、執事は引き下がるしかなかったのだ。
第四話 -友の決心- END
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