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明日は別れだと思うとロザリアの姿を見るのが逆に辛かった。
ランディは日課であるロザリアの食事運びも、執事に託すつもりで部屋に閉じこもっていた。
コンコン…
メイド頭の女性だった。
「ランディ様、奥様が…あの…お夕食をダイニングでお召しあがりになると…」
「何だって!?」
信じられないランディ…
数年間食事は自室にてひとりで済ませていた彼女だった。
ランディがいないから…と。
むろんランディは目の前にいつもいたが、就寝時以外は日中も夜も彼女にとっては見知らぬ男性としてしか映っていなかったから…。
ダイニングルームの扉を開いたランディは、そこに鮮やかな蒼いドレスに身を包むロザリアの存在を確認した。
彼女は…笑った。ランディに――笑った。
「嬉しいわ、ランディ様…ご一緒にお食事が出来るなんて」
「ロザリア…」
「だっていつもワタクシが眠りつく頃にしか逢えないのですもの」
にっこりともう一度微笑んで、風の館の「奥方」が座るべき椅子に座している。
『このお席は奥様だけのものです』
そう言って、いつか…もしや…主とその妻が仲睦ましく晩餐を過ごす、その時を夢見た老執事と使用人達の願いが込められた椅子に…。
「俺が誰かわかる…のか?」
「いやだわ、ランディ様ったら何の冗談ですの?」
「でも……」
就寝時以外に自分をランディとして認識できないはずのロザリアなのに・・・
「あなたはワタクシの大好きな風の守護聖ランディ様ですわ。このクイズに何かご褒美でもあるのかしら?フフ」
庭園で――森の湖で――風の館で過ごした愛しい、そして美しい恋人ロザリアが、あの頃の天使が目の前にいるのだ。
「ねぇ、食卓にワタクシの分しかないけれど、ランディ様はもうお済みなの?」
ランディの後ろに執事・メイド・料理長が立っていた。
「ご、ご主人様のお食事も早速ご用意しますよ」
料理長が明るい声で言う。
「アタシ…今テーブルのセットをお持ちしますね」
若いメイドが浮き足立っている。
「さあ、ランディ様……お席へ。ご婦人を待たせてはなりません」
執事の目は潤んでいた。
そして、ランディも自らの瞳から涙が零れぬように必死に答えた。
「お、俺、こんな格好でも、いい…かな?」
ロザリアの正装に対して、自分は普通のシャツとジーンズだ。
「ランディ様は何を着てもお似合いになられるもの。スタイルがいいからですわね。素敵よ」
(昔…下界で同じ事を言ってくれたね、ロザリア…あの時は一生で1番幸せな時間だったよ)
彼女が数分後にいつもの“普通でない状態”に戻ろうとも、構わない。
今、昔と同じ微笑をくれる彼女がそこにいるのなら、今この時だけ恋人同士として過ごしたい。
ランディの心がそう叫ぶ。
そして、その館の使用人達が見守る中、何の問題もなく楽しい晩餐は過ぎた。
大きなテーブルに向かい合っていた二人は、最後には椅子を移動させ隣り合わせて体を密着し、キスを交わしていた。
館の者達は思った。
奥様はここを出ていかなくとも良いかも知れない。
これで全てが変わるかも知れない…と。
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結局――何も変わらなかった。
メイドが夕食後にロザリアのドレスの脱衣を手伝った瞬間、ロザリアは戻ってしまった。いつもの人を嫌がる形相で『ランディ様はどこ!?』と叫んで…。
もちろん部屋に来たランディの判別も、いつもの如く「見知らぬ青年」として…。
使用人達の願った結末には至らなかった。
けれど、ランディはもう悲しまなかった。
別れの前に一度だけ、偶然に戻って来てくれた恋人に感謝だけ贈ろうと。
就寝時、いつものように夫婦の寝室に向かうランディ。
扉を開けると既にロザリアは寝息を立てていた。
その横にそっと滑り込む。
そして、いつものようにロザリアが一瞬目を覚ます。
「ランディ様・・・今夜は楽しかったわ。また一緒にお食事してね」
「ああ、毎日だって、いいよ」
長年ランディの唯一の安らぎの時間だった寝台でのひととき。
夢うつつのこの時だけは、彼女は自分をランディとわかってくれる。
清潔な石鹸の匂いに包まれる二人の時間。
「腕枕…してね。絶対どこにも行かないでね。ワタクシを置いていったりしないでね」
「そんな事…あるわけないだろ?バカだな」
今夜の彼女は、寝ぼけ眼じゃなかった。とてもはっきりと会話している。
「ワタクシ…女王にはならないで、ランディ様の花嫁になるわ」
「どうしたんだい?急に」
「だって、ランディ様の館の人たちはワタクシを”奥様”って呼ぶの。何故かしら?」
「君が俺のフィアンセで一緒に暮らしているからだろ?」
「そうなの、それがとっても耳心地が良くて嬉しいの。”奥様”って…」
ロザリアは腕枕されたランディの肩に、さらに密着する。
視界に見えるランディの寝巻きの、その襟元から覗く彼の胸にそっと手を伸ばす。
「前より痩せてしまったのね、ランディ様…。オスカー様の稽古がキツイの?それともジュリアス様にたくさん怒られたのかしら?」
「やだな、ロザリア。どうして俺がジュリアス様に怒られるんだ?」
「それは……」
ロザリアは眠りに就く寸前だった。
美しい睫を閉じながら言った。
「ワタクシと…聖地を…捨てようとしたから…」
完全に眠ったロザリア。
彼女は忌まわしい思い出を無意識に持ち続けているのだ。
やはり旅立たせなくてはならないと決意するランディ。
そして、もう2度と触れる事のできない恋人の…妻の身体を力強く抱き締め、その桜色の唇に決別の接吻をした。
(ずっと――ずっと愛してるから。他の人は愛さないから。俺は君だけのものだよ、ロザリア)
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「ロザリア、どうしたの?なんだか今朝はいつもに増して綺麗だわ」
「アンジェったら…、正直過ぎてよ。まわりの人に恥ずかしいじゃない」
冗談で返事を返すロザリアは、特別に美しかった。
スモルニィに行くと聞いて、心がときめいているのだろう。
春の華が散りばめられた、黄色基調のワンピースが軽やかで上品だ。
「オリヴィエ様のプレゼントなの。主星でおみやげを買って来なければね」
「そ、そうね。一緒に選んであげるわ」
アンジェリークは、優しげに…だが、沈んだ声で答えた。
――きっと、いつか私のプレゼントを着て、ランディと笑ってデートできるさ――
そう言って聖地を去ったオリヴィエを思い出す。
ロザリアの荷物はあらかた別の便で送った。
手荷物として、残ったエレガントなケリーバッグを彼女に渡すランディ。
「まあ、ありがとう。あなたが持っていてくれたのね」
やはり、今のランディは彼女にとって見知らぬ男らしい。
「ほんとに元気でいてくれ。俺はお前とアンジェリークを忘れない」
「ああ、俺たちも同じ気持ちだぜ。照れくさいセリフだが死ぬまでダチだぜ」
力強く握手し、肩を抱き合う親友同士。
続いてその銀髪の親友の花嫁となる、古い女友達を抱き締める。
「ロザリアを、頼む。お願いだアンジェリーク」
「うん、わかってる。ランディの幸せも祈ってるから…ガンバってね」
「んじゃ、行くか」
聖地の門に向かうべく待機している馬車に乗り込もうとする3人。
風の館の使用人達が整列し、一斉に最敬礼した。
それは、長くランディを支えた親友とその恋人である崇拝した女王陛下への尊敬の念を込めてであり、そして、別れ往く主人夫婦へのもの…。
(さよなら・・・ロザリア。きっと元の君に戻ってくれるよう、俺は祈るよ)
そっと目を閉じたランディ。
「ロザリア…何してんだ?」
戸惑ったゼフェルの声がした。
「どうしたの?ロザリア」
既に乗り込んでいたアンジェリークの声がする。
その声を聞いたランディは、馬車に昇るステップに片足をかけたまま動かないロザリアに視線を向ける。
ほんの少し振り向いたロザリアに見えたもの。
大きなレンガ作りの暖かい屋敷。
黒いお揃いのワンピースにフリルのエプロンを身につけたメイド達。
白い調理服を着た数人の男達。
右手にクワとスコップを持った庭師。
いつも見慣れた初老の執事。
(何故みんな泣いているのかしら?)
そして、その中心に立つ栗色の髪の青年。
あれは…誰だったか?
いつも傍にいたような気がする。
気安くワタクシに触れて何度も罵声を浴びせた男。
時々ランディ様と間違えそうになった痩せた若い男。
香もも手のぬくもりも…とっても知っているような感覚。
いつも具合が悪くなってしまうので、これ以上は考えなかった。
けれど、今はちゃんと考えなくてはいけない気がしてならない。
あの栗毛色の髪は――
あの青く輝く美しく寂しそうな瞳は――
ランディ様――――――――――――――!?
「ワタクシ行きたくない…」
馬車に乗らず、方向転換したロザリアはポツリと呟く。
まるで小さな少女のように肩を落とし、薄っすらとベソをかくように、館を、使用人達を、そして、ランディにすがるような瞳を向けた。
「ロザリア?ねぇ、ロザリア…」
「お前、どうした?何が……」
アンジェリークとゼフェルの呼びかけが、まったく伝わっていない。
ロザリアの肩が少しずつ震え始める。
「奥様!!お戻りくださいまし!!」
若いメイドの声がする。
「この館でずっと、ランディ様とお暮らしください!」
庭師が叫んだ。
ランディは少女のような小さく震えるロザリアと見つめ合う。
(俺がランディだとわかるのか?)
そうやって悩むランディに、執事が寄ってくる。
「どうか…どうか奥様のお世話させてくださいませ。ランディ様。あなた様の負担が軽くなるように、我々全員手助けいたしますから…。奥様の手をとってあげてください」
周りを見回すランディ。
使用人全員が主人であるランディの言葉を待っていた。
ゼフェルもアンジェリークも同じだ。
そして、ロザリアは相変わらず彼に救いを求めている。
風が――
一瞬――風が吹いた。
サクリアの乱れではない。
己が司っていたはずのサクリアが、ランディに問い掛けて来たのだ。
手離すな…と。
ランディは料理長に話し掛けた。
「あなたの丹精込めた料理達を、また彼女はぶちまけるかも知れない」
「なら、もう一度ワシは作りますよ」
「君は熱い紅茶の入ったカップを何度も投げつけられるんだぞ?」
「じゃあ、最初から少し・・・ヌルめにしておくよう、心がけます」
メイドはおどけて微笑んだ。
使用人全員の顔を見る。
もう先ほどまでの沈んだ顔をしたものはいなかった。
「俺達の出る幕じゃなかったな。こんなに助っ人がいたんじゃ」
「ええ、そうね。さあ、ランディ、早くロザリアを抱き締めてあげてよ」
親友とその恋人が暖かく見守っていた。
ランディは少しずつ立ち尽くすロザリアに近づき、右手を差し出す。
「俺が誰だかわかるなら…この手を取ってくれ。」
差し出された彼の手を見つめるロザリア。
そしてベソをかいたその顔で言った。
「ランディ様です。ワタクシがお慕いするたった一人の…方」
「いつも…朝も昼も夜も…俺がランディだと忘れないでいてくれるかい?」
「忘れた事なんて…ありませんわ」
ランディはその手を取ったロザリアをきつく抱き締めた。
「君は俺の初恋の人だ。そして俺の恋はずっと…ひとつだけだよ。」
「はい、ランディ様」
風の館に一斉に安堵の溜息と笑い声がこだました。
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もしかするとロザリアは今夜また豹変するかも知れない。
塔から身を投げなくてはならなかった過去を、
完全に取り戻してしまうかも知れない。
そして、その時俺を再び憎むかも知れないだろう。
けれど俺は、何かを取り戻した。
恐れる事よりも、新しい自分と彼女の時間を作って行こう。
決して…離れたくはないから。
初恋は実らないと誰かが言った。
確かに俺の恋は悲しい思い出に彩られた。
けれど、俺は彼女の傍にいる。
いつか星に還るその日まで…。
その時、笑って自分を振り返ってこう告げよう。
一生ひとりの女性だけを愛し抜いたと。
第五(最終)話 -風の館- END
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