[恋色5]




 「まだ止みそうもないな」

 教室を出たあかねは、廊下側の窓から校庭を眺めて呟いた。
 雨の日はなんだか気が重くなる。
 今は特に頼久のことも気にかかっていたし、お気に入りだった赤い傘もその頼久の家に置きっぱなしにしていたし、いつもよりも余計気持ちが滅入りそうだった。

 土曜日の午後の校庭は雨のせいもあって、人影もまばらで、ただ時折強まったり弱まったりと、変化しながらも降り続く雨粒だけが踊っている。
 こんな時間に校庭を眺めるのは久しぶりだったが、きっといつもならば、グラウンドやらテニスコートから生徒達の元気な声が聞こえてくるのだろうと思った。

 このまま帰りに頼久の部屋に行ってみようか、それともやはり一度電話を入れたほうがいいだろうか?どうしようかと迷っているあかねの視界に、不意に赤い色が映り込んだ。

 ・・・・・・あれ?

 よくよく見れば、校門の前に小さなひとだかりができている。
 その中心には赤い色。まわりを取り囲む女の子達よりも、うんと背の高い男の人が赤い傘をさして立ち尽くしていた。

 ・・・・・・嘘、頼久さん?


 「う、嘘だよ。な、なんで、だって私・・・・・・」

 あかねの教室があるのは三階、その廊下から校門は小さくしか見えないが、頼久の姿を見間違えることはない。もちろん、頼久のほうからはあかねの姿など見えないだろう。ここから叫んでも・・・多分、雨のせいで聞こえない。あかねは迷わずに、階段を駆け下りていた。

 三階から一階まで一気に駆け下り、少し息が切れる。気がつけば、カバンも傘も何も持たず、靴さえはきかえずにあかねは昇降口を飛び出し、校庭の周囲に作られたコンクリートの小道の上を走り出した。
 こんな雨の中に傘もささないで、頼久におこられてしまうかもしれない「風邪をひいてしまいますよ」って。呆れて笑われてしまうかもしれない「あなたはまったく」って。でも、頼久さんに怒られたい。頼久さんに笑って欲しい。
 
 あんなに小さく見えた頼久がはっきりと見えてきた。まわりを囲んでいた子たちは帰ってしまったようで、灰色の景色の中に、ただぽつんと赤い色が落ちているようだった。
 だんだん、だんだん近づいて、頼久もあかねに気が付き顔をあげる。

 「頼久さーん!」
 「神子殿っ!あっ、危ない」
 
 雨の中を自分へと向かって走ってくるあかねに、咄嗟に頼久の口をついて出た言葉は『神子殿』だった。
 あかねは息を切らしながら、頼久の差し出す傘の中に入った。







 「神子殿」
 「あははっ、頼久さんすごい顔してる」
 「当たり前です。どうしてこんな無茶を、傘をお持ちではなかったのですか?それよりもこのような地面が雨で滑りやすいことなどご存知でしょう。転ばなかったからよいものを、まったく肝を冷やしました」

 一気に喋り出す頼久にあかねはクスリと笑った。

 「なんか、京にいる時の頼久さんみたい。わたし、よく怒られたよねー」
 「っ、す、すみませんっ」

 頼久の慌てる姿にあかねは胸が熱くなってゆくのを感じた。別人のようだと思った頼久はどこへいったのだろう。目の前には、あかねの大好きな頼久がいた。

 「あの、神子殿」

 頼久は、自分があかねのことを神子殿と呼んでしまっていることに気が付いていないようだ。

 「あなたに謝らなくてはならないことがあります」
 「は、はい」

 いきなり真正面から切り出され、あかねは思わず背筋を伸ばした。

 「先日は・・・その・・・私を気遣ってくれた神子殿に、あのような不躾な言い様をしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
 「あ、いえ。私も嫌な言い方しちゃったから。私のほうこそごめんなさい」

 頼久はポカンとした顔であかねを見た。

 「あの、だから私も、あの日・・・ひどいこと言っちゃったんじゃない?」
 「あ、ああ。あれには私も参りました。でも、もういいんです」
 
 実はあかねは、あの日自分が頼久に叫んだ言葉をよく覚えていない。参りましたと言わせるようなことを言ってしまったのだろうか。

 「頼久さん、あのー・・・私、あの時はとっさに叫んじゃって。実はあんまりよく覚えてないんだよね。で、何て言ったのかなー、なんて」
 「覚えていないのなら、それはそれでよろしいのではないでしょうか?」

 覚えていないほうがいいようなこと、か。で、でもどうしても知りたい!私なんて言ったのー?

 「そ、そんなにお知りになりたいのでしたら・・・わかりました」
 「あ、また声に出てました?」

 頼久はハイと頷いてから、やんわりと笑った。

 「神子殿は、あの日、もう好きでいられないと仰いました」
 「ええ?」
 「私を別人のようだと言い、そしてそんな私を好きではいられないと」
 「えええー!ほ、本当に?」
 「はい」
 
 今度は、極端なくらいに落ち込んだ表情で頷いたので、あかねは頼久の言っていることが真実であると確信した。「好きではいられない」だなんて・・・今聞いても心が痛くなる。そんな思いを頼久にさせていたのだ。きちんと謝らなくちゃならない。

 「頼久さん、本当にごめんなさい。私、私・・・頼久さん、好きです。好きだから、ほんとうに好きだから、そうじゃなくなることが怖くて、多分、それでちょっと不安で、そんなこと言っちゃった・・・好きなのに」
 「本当ですか?」
 
 泣き出してしまったあかねの頬に、温かい頼久の手が触れた。その温かさにドキっとして顔をあげると、そこには真剣に自分を見つめる頼久がいた。

 「本当にこんな私でも、嫌いにならないでくれますか?こうして、いつもあなたに嫌われ、呆れられることを恐れて、この世界で不自由なく暮らしているように見せかけて、その内側では己の心を錆付かせているような、そんな男ですよ」

 頼久の胸を突く叫びのような告白を聞き、あかねは自分の頬にあてられている頼久の手の上に自分の手を重ねた。

 「そうかもしれないけど、でも、もっと好きなところ一杯あるから。だから・・・このあったかい手も大好きです」
 「はい」
 「そうやって、優しく笑ってくれる目も大好き」
 「はい」
 「驚いたり、怒ったり、へこんだり・・・私だけに見せてくれる頼久さんが全部、全部、大好きです、声も、指も、全部」
  
 涙を押さえることのできないあかねを、頼久は自分の胸へ抱き寄せた。破裂しそうなほど高鳴っている心臓の音を聞かれてしまうかもしれないけれど、今はそんなことよりも目の前にいるあかねを・・・・・・懸命に涙をとめようと身体中に力を入れ、それはまったく無駄な努力なのに、一生懸命に唇を噛み締めているあかねを優しく包んであげたかった。
 
 「本当に、本当に、好きなの、ほんとうなの、この胸だって・・・」
 「神子殿、それは全てあなたが私にくれたものです。あなたがいなければ、あなたと出会わなければ、私は何ひとつ持ち合わせていなかったものばかりです」
 
 あかねは頼久の胸に顔をうずめた。背中に手をまわしシャツをぎゅっと掴む。

 「頼久さん、やっぱりあかねって呼びにくいですか?」
 「えっ、あっ、ああっ、そっ、それは」

 頼久の狼狽ぶりにチクっと胸が痛んだが、あかねはあえて続ける。

 「呼びにくいんだったら、無理しなくたっていいよ」
 「確かに、なかなか慣れることができません。あなたを名前で呼ぶ時は、いつも一つの決心がいります。これから名前を呼ぶんだといつも意識して呼んでいました」
 「ああ、だから」
  
 だから、あかねと呼ぶ前に一瞬、眉をしかめ、息を吸う。そうして自分に言い聞かせるようにしてから、名を呼んでいた。

 「頼久さん、頼久さんの好きな呼び方でいいよ。神子殿じゃなくたって、ねえ、でも、おい、でも、なんでもいいから」
 「さすがにそれは」
 
 あかねの提案に頼久は笑う。けれどもやはり自分は神子殿と呼ぶだろう、それを許してほしいと言う頼久にあかねは「仕方ないなぁ」とわざと笑いながら言った。

 「それからもう一つ・・・許していただきたいことが」
 「え、何かあったっけ?」
 「あの・・・・・・実は今日、お約束していたイベントのチケットのことなんですが」
 「あ、ああー。それなら天真くんから少し聞いたんだけど、あの機械わかりにくいよね」
 「はい、それで、さきほどもう一度寄ってみたんですが、何やら間違えてしまったようで」

 頼久は顔を真っ赤にしながらポケットから二枚のチケットを出した。

 「これを発券してしまいました」
 「え、これ・・・わんにゃんパラダイス・・・って、ええ?」
 「も、申し訳ありませんっ」

 わんにゃんパラダイス。犬や猫、その他いろんな小動物と触れ合えることが売りの近くにある小さなテーマパークだった。あかねはここが好きだったけれど、頼久が一緒に行ったならば、それはさぞかし不思議な風景になるだろうと思うと笑いがこみあげてきた。

 「これって、あはははは」
 「神子殿、本当にすみません。神子殿が行っていたイベントは次回必ず」
 「いいよ。ここに行こうよ。うん、許す。許しちゃう、だって今日は頼久さんの誕生日だもん。許しちゃうよ」

 雨も小降りになってきたことだし、この分ならそのうち晴れてくるだろう。たまにはそういう場所に頼久を連れ出すのもいいかもしれない。

 「神子殿?」
 「私、カバンと傘取ってくるね。すぐ来るから待ってて」

 私の教室、あそこなんだ、と三階を指差してから、あかねは駆け出して行った。あかねが指差したその場所を、赤い傘をさした頼久が見上げていた。







 
 先ほど駆け下りた階段を、今度は三階まで駆け上がる。

 教室まで戻ると、あかねは自分の机に急ぎ、わきに掛けていたカバンを掴んだ。
 廊下に出て、さっき初めて頼久を見つけた場所まで行ってみる。校庭を見下ろすと、最初に見つけた時と寸分たがわぬ場所に頼久は立っており、傘を差しながら自分の方を見上げていた。
 じっと、自分を見つめて待っている頼久を見ていたら、まるで年下の少年を待たせているような気分になった。

 「誕生日だから許しちゃう・・・・・・か」

 でもきっと、頼久が真剣に自分の気持ちを伝えてきたら、あかねは何でも許してしまうだろうと思った。あの瞳で訴えられえ、はねつけられる人間がいたならばお目にかかりたいものだと思う。
 だけど、自分の場合はそれだけじゃない。でもそれはまだ内緒。

 「あ、雨止んだみたい」

 外を見ると、相変わらず頼久は傘をさしたままこちらを見上げていた。
あかねに気が付いたのか、ほんの少し微笑んでみせているが、その口元はきつく結ばれたままだった。その代わりに、隠しきれない気持ちは頬を赤く染め、いまだ差し続けているあかねの赤い傘のせいで、その色を濃くしていた。
 あかねは、さっき泣いた自分の瞳も、きっと濃い色をしていると思った。
 大好きだから頬を染め、大好きだから瞳を赤くする。

 自分を見上げる頼久さんを見て、彼が何を考えていたのか知りたくなった。きっと頼久さんも私がここで何を考えているのか、ちょっと不安になってるはず。だって、そんな顔してる。だから、内緒にしようと思っていたことも、言ってしまおう。

 ---誕生日じゃなくたって、許しちゃうよ。だって大好きだもん

 
 もっと知りたい。もっと話したい。いつだって、そんな風にして恋ははじまる。もっともっと近くに行きたい、だって大好きだから。
 きっと、そんな風にして、恋は色を濃くしてゆく。


 あかねは手に持っていた傘を置いて、カバンだけを握り締めると、頼久の待つ校庭へと階段を駆け下りた。




[了 / 恋色]







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