「なっ、なにするのよ!」 あかねは、自分の手を叩いた頼久の大きな手をぎゅっと握ったまま、なんてことをするんだ!と言わんばかりの表情で頼久を睨んでいる。 「つまみ食いなど、はしたないですよ」 「だって、お腹ぺこぺこなんだもん」 「まったく」 頼久は、掴まれていない方の手で、あかねの指を一本一本ほどいてゆく。それでもまだ、懸命に自分を睨みつけているあかねと目が合った途端に、ふと可笑しくなってしまった。 「何が可笑しいのよ!」 「いえ、別に。それより、あかね殿、あなたには他にちゃんと用意してありますよ」 「ほんとう?」 ころころと表情を変えるあかねに、今度こそ笑ってしまった頼久だが、あかねの目はもう頼久を見ていなかった。 「今日のおやつ何?どこにあるの?」 「小さい方の戸棚の中に入れてあると聞いていますが、ああ、きっとこれですね」 頼久は戸棚の中から、木製の皿を取り出す。その上には、皿と同じような色をした大きな栗が、5つほど乗せられていた。 「あっ、仙栗だ!美味しそう!」 「橘さんのお手製だそうですよ」 「これ美味しいんだよね。では、さっそくいただきます!」 あかねが喜んでいる仙栗とは、栗と砂糖だけで作られた素朴な菓子であったが、それだけに作る者による栗の見分け方が問われてしまう。なによりもまず良質な栗を選ぶことが肝心だ。煮込む際に使う砂糖も、これでなくてはならないという決まりがないため、作り手によって出来上がりに大きな差がつくのも特徴だった。橘の作る仙栗は、栗の大きさや新鮮さはもちろんのこと、和三盆で煮込んだ仕上げに、液糖を使っているらしく、見た目はしっとりと濡れたように輝き、口に入れた瞬間に栗の周囲の砂糖がほろほろと口の中で崩れてゆく絶品だった。この菓子は、あかねの好物のひとつで、栗が出始める秋口になると、決まって橘にまとわりついては「今年はまだか」とねだるのだった。 口一杯にほうばって食べ続けているあかねを横目に、頼久は途中になっていた調理へと戻る。煮汁の少なくなった小鍋の一つから落し蓋を取ると、その瞬間に甘い煮物の匂いと湯気が立ち上った。 お玉を片手に、鍋の中身を小皿に移すと、猫舌の頼久はふうふうと何度か息を吹きかけてから、皿に口を付けてズズっとすすった。それから、満足したように一人うなずくと、鍋を火からおろした。 あかねは、栗をほうばりながら、その一部始終を見て、何を作ってるのかと聞きたくて仕方なかったが、口の中が一杯で喋ることができない。そうこうしているうちに、転がっていた野菜は頼久の手によって綺麗に切られ水にさらされていたし、火の上で湯気を立てていた鍋の中身は、頼久が味見をした順番に皿に移され、やがてその全てが調理台の上に並べられた。 お芋に、煮豆……大根は千切りにして酢の物にしたのかぁ、私ちょっとお酢は苦手なんだけどなぁ。あとは、あー、こっちはひじきだったんだ。海草はいまいちだけど、ひじきは大好き。それに、あとはさっきの玉子焼きでしょ?頼久がこんなにお料理が上手だったなんて意外だな、でも、すごい美味しそう! 「ねえ、頼久さん、これちょっとお味見させて?」 大切そうにゆっくりと食べていた仙栗の、最後のひとかけをごくりと飲み込むと、あかねは立ち上がって頼久へ近寄った。頼久は、一瞬の間はあったものの、こくりと頷くと、あかねの味見の申し出を了解した。 「いいですけど、少しだけにしていただけますか?」 「あ、そうだよね。夜ご飯の時におかずなくなっちゃうもんね」 そうだよね。あとで困るのは自分たちだもんね、とあかねは頼久ににっこり笑い、「ちょっと味が濃いんじゃない?」などと言いながらも次々と食べている。だが頼久はあかねの言葉に首をかしげた。 「は?夜ご飯とは?」 頼久は間の抜けた顔で、あかねを見つめ返した。 「は?って、だから、頼久さんは、私が全部食べちゃうと思ってるんでしょう?大丈夫、そんなことしないから。だって、これ私たちの夜ご飯のおかずなんでしょう?無くなったら私だって困るもの」 「いえ、この料理は、これから生徒の家に届けるものですが?」 「はあ?」 「はあ」 「なっ、なっ、なによそれ!じゃあ、私のご飯どうするの?私だけじゃないよ、頼久さんだって夜ご飯どうするの?食べないの?食べるんでしょ?わ、私は絶対に食べるんだから!」 「あかね殿?」 「なによっ」 頼久のあかねを見る表情がやれやれといった顔に変わる。そして、目が合った瞬間、あかねはプイと横を向いてしまった。 「これは、道場で教えている生徒の家に届けるものなんですよ。実は彼の父上が病気で倒れたらしく、母上が看病につきっきりで最近ろくなものを口にしていないと聞いたものですから」 「えっ、じゃあ、これ全部持っていっちゃうの?」 「ええ、多分まだ二日、三日ほどはこんな状態でしょうから、玉子焼きや豆はともかく、他のものは日持ちするよう味を濃い目に作りました。ですから、あかね殿が濃いとおっしゃるのも当然のことで……」 「そんなこと聞いてないよ!」 「えっ……」 あかねは、頼久の話を途中で遮った。味が濃い理由なんて聞いてない!聞きたくもないんだから。これ、絶対に私のために作ってくれてるんだと思ったのに。それに、本当にこれ全部持っていかれちゃったら夜ご飯どうすればいいの?橘さんは帰っちゃったし、私、お料理なんて作ったことないのに。 「どうするのよ」 「は?」 「だから、夜ご飯どうするの、って聞いてるんでしょ」 頼久はあかねの質問を受け、生真面目に腕を組んで考える。 「ええと、私はこれから出かけますが、あかね殿は?」 「私は別に用事ないけど、なんで?」 「でしたら、申し訳ないんですが、あかね殿作っていただけないでしょうか?米はもう研いでありますので、すぐ炊けるようになっておりますし。簡単なもので結構ですから」 「そ、そんな!私、料理は……」 「はい?」 「あんまり得意じゃないから、美味しいかどうかわからないもん」 できない、とは言えなかった。料理ができないなんていったら、馬鹿にされるか、また婦女子のたしなみとして、なんて調子で怒られるに決まってる。 一方、頼久は、あかねの顔色を見て、彼女が料理をしたことがないことを悟った。――まったくあかね殿は本当に素直な方だ。何もかも顔を見ればすぐにわかってしまう。 「ああ、では……いいですよ、あかね殿。それでは私が帰ってから作りましょう。といっても大したものはできませんが」 「え、でも、でもさ、私、」 「いえ、できないものを無理にやることはありません」 頼久は、はっと口を押さえたが、時既に遅しである。あかねの頬が瞬く間に赤くそまり、小さな前歯が下唇をキュっと噛み締めていた。 「あ、あ、あかね殿?」 「できないなんて誰も言ってないじゃない!できないんじゃないもん」 「あかね殿、すみません、あの、落ち着いてください。ともかく、私はこれを温かいうちに届けてきますので、続きは帰ってからにしましょう、ね?ね?」 「知らない!勝手にすればいいでしょう?そうよ、夕飯だって別に一緒に食べなくたっていいんだから、そうだわ、今日は別々に食べましょう。じゃあね、行ってらっしゃい!」 言うだけ言うと、あかねはダンっと、大きく床を踏みしめ、頼久をひと睨みして台所を出て行った。すぐに階段を駆け上がる音が響いたが、ガシャンと戸が閉まった後はしーんと静まり返った。 頼久はやれやれと肩を落とし、料理を重箱に詰めると風呂敷で包み、周囲を簡単に片付けた。 家を出る時に、一応あかねに声をかけたが、依然として屋敷は静まり返ったままであった。誰に言うともなく「行ってまいります」と口にし、玄関を出る。その様子を二階の自室から見ていたあかねは、無言のままぷいと唇を尖らせた。 ◆ 頼久が用事を終え、元宮の家に戻った頃には、少しずつ日が暮れ始め、西の空が真っ赤に染まっていた。頼久は門をくぐると、足を止めた。長く続く延段の上、ひらりひらりと赤く色づいた木の葉が舞い降りてくる中で、一人の少女が、ぴょんぴょんと跳ねていた。 「あかね殿!」 少女は、声のする方向をひと目見ると、また元のようにくるりと後ろを向いた。 「あかね殿、ただいま帰りました」 「……」 「今すぐ、夕飯の支度をしますから、もう中に入りましょう。これでは風邪をひいてしまいますよ」 「……」 頼久が、近寄って声をかけても、あかねは無言のままだ。だが頼久はあかねの肩に手をかけながら諦めずに話かけた。 「あかね殿、すぐにご飯も炊けますから、早く中へ」 「いらない」 「は?」 「いらないの。私、食欲無いから、夜ご飯いらないの」 絶対に嘘だ!いや、でもここで笑ってはならない。絶対に笑ってはいかん。頼久はあかねのすぐにバレる嘘が可笑しくてしかたなかったが、どうにかこらえて三度声をかける。 「少しならどうですか?ともかくここにいては冷えてしまいます。さあ屋敷へ入りましょう」 「煩いのよ、頼久さんは!私はお腹も空いてないし、寒くない!ここにいたいんだからほっといてよ」 あかねは頼久の手をはらった。そしてその手はあかねの想像したように、もう一度肩にかけられることはなく、ふいに肩に晩秋の冷気が降りかかった。え?行っちゃうの? 「わかりました。それでは私はもう部屋へ戻ります。あかね殿もあまり遅くならないうちに屋敷の中へお入りください」 わざとらしく礼をすると、頼久はすたすたと歩き出し、言ったとおりに屋敷へと入っていった。 ――なによ。さも心配してるって顔しといて、結局行っちゃうんじゃないの。別にいいもん。一日くらい食べなくたって死にはしないもん。 あかねは意地のように、屋敷へ戻ろうとしなかった。時折、玄関を振り返ってみたが、期待したような人影を見つけることはできなかった。 けん、ぱ、けん、ぱ、と延段の上を行ったりきたりしているうちに、赤かった空の色が、うすい闇に変わってきている。お腹がぐうと鳴って、「もうっ!」と自分に毒づいた。それでも、まだ中に入る気にはなれず、けん、ぱ、けん、ぱを繰り返し、門のところで立ち止まった。 「はぁ。お料理できないって、言えばよかったな」 でも、やっぱり恥ずかしいもんね。 あかねは、門に寄りかかりながら、遠目に見える屋敷の台所のあたりを見つめていた。心なしか良い匂いがする。甘辛いような、ちょっと香ばしいような。 頼久ってば何作ってるんだろ。 「あーあ、意地張らないで、私の分も作ってって言えばよかった」 あかねがそう呟いた時、玄関の灯がぽっと橙色に灯った。あかねの目がそこに向いた時、ようやっと期待していた人影が浮かび上がり、その人は、ガラガラと大きな音を立てて戸をあけた。 「あかね殿!まだ中にお入りにならないつもりですか?」 玄関先に立つ頼久が、大きな声であかねに問いかける。あかねはただ首を縦に振っただけで、やはり何も言おうとしない。 「そうですか」 ぞれじゃあ、と、頼久が後ろ手に戸を閉めた。 「何してんのよ?またどこかに出かけるの?」 「いいえ」 今度は逆にあかねが頼久に問いかける。頼久はそれににっこりと微笑むと、「夕飯にしませんか?」と言った。 「え?」 「あかね殿は、お肉がお好きですから、味付けしたひき肉を使ってオムレツというものを作ってみました。それから、煮豆もお好みに合わせて薄味に。芋の方も大分甘めに仕上げたつもりです。それから、きゅうりの糠漬けがちょうど良い頃でしたので、少し切ってみました。ご飯は握り飯にしたんですよ、ただ、それが俵型が上手くできなくて……ですが、形は悪くとも、味はいいと思います」 「なっ、何言ってるのよ」 「それは……あかね殿が屋敷へ入らないと仰るものですから」 背中に隠していた手を前へとまわすと、頼久は持っていたものを自分の顔の前にぶらさげた。 「あ!お弁当だ!」 「ええ、外で食べるのでしたら、やはり」 「お弁当、私にお弁当作ってくれたの?」 さっきまでのふくれっつらはどこへやら。そんな顔は一度もしたことがないというような、満面の笑みで笑うあかねに、頼久もまた小さな笑い声を上げる。 「あかね殿に、ではないですが、よろしければどうぞご賞味ください」 「なによう!」 あかねが、頼久に向かって駆け出した。もうすぐぶつかるといった少し手前でいったん止まると、いきなり神妙な顔で頼久を見た。 「なっ、ど、どうしたのですか?」 「頼久さんて、意地悪だよ。私、意地悪な人って嫌い」 「え!」 「でもお弁当は好き!」 ――けん・けん・ぱっ あかねは「ぱっ」と言いながら、なだれ込むようにして頼久に抱きついた。 「大好き!」 シャツの裾をぎゅっと掴まれたまま、頼久は動けずにいた。片手は弁当を持っているので使うことができず、もう片方の手は、特別な理由もないくせに使うことができない。 大好きなのは、弁当なのか、それとも自分のことなのか、はたまた弁当を作った自分への言葉なのか、そんなことが頭の中をぐるぐると回っていた。 「あかね殿!」 彼女の名を叫んだ時、思わず声が裏返ってしまったことに気が付いたのは、結局あかねが弁当を食べ始め、「さっきの頼久さんたら」と、笑い出してからのことだ。 くしゅんと、派手なくしゃみをした後、袖口で鼻先をすする彼女を叱れなかった自分を今日は誰も責めないだろう、そう頼久は思っていた。気が付けばもう冬が急ぎ足でやってきていた。
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