――けん・けん・ぱっ 大きな門をくぐり、玄関までは長く続く延段の上を歩いてゆく。 あかねは幼い頃、これが飛び石だったらいいのにと、いつも思っていた。 大学で文学を教えている父親は自身の蔵書のみならず、娘にも読みきれぬほどの書物を与え、幼い頃からあかねの部屋の本棚にはめずらしい絵本や、その年頃ではまだ少し難しいと思われる文字の多い本がぎっしりと並べられていた。「なかなか手に入らないんだぞ」という、恭しい言葉と共に増やされてゆく本を見ても、あかねは少しも嬉しくない。そんなものよりも、玄関から門までずらーっと敷き詰められている石を剥がして、その代わりに丸い石をいくつも、いくつも並べてくれたほうがいいのにと常々思っていたのだ。本なんかよりもそっちのほうが、よっぽど友達にも自慢になるというものだ。それに、石の上をただ真っ直ぐ歩くよりも、けん・けん・ぱっ、と片足で飛びながら前へ進むほうが絶対に楽しいに違いないと思っていた。 だが、それを一度両親に言った時、女の子がなんてことを言うのかと驚かれ、いくつになったと思っているのかと呆れられた。しかも話の流れで言わなくてもいいことまで言ってしまい、これまで買ってもらった本を実は一度も読んでいないことまで露呈することになって、こっぴどく叱られてしまったのだ。それからというもの、これに懲りたあかねは飛び石という言葉を口にすることはなかったが、あと一年もすれば女学校を卒業する、いわゆるお年頃になった今でもなお、「けん・けん・ぱ」の誘惑は時折あかねを襲うのだった。 いくつもの種類の石が敷き詰められた延段は、年月と共に渋い色に変わり、どことなく古びた印象を与えている。だが、それが風情というものだと頼久は言った。 「こんなの、どこがいいんだろ?」 玄関を一歩出るたび、また外から帰ってきて門をあけた時に嫌でも目に入る延段は、古いながらもいつも綺麗に水が打たれ手入れされている。きっとこの打ち水も頼久の手によってまかれたのだろう。今もまだ乾ききらない部分が、ところどころ色を変えて光っていた。 「けん、けん、ぱ」 あかねは、その上を片足で器用に飛び移った。 「ただいまー」 ガラガラと大きな音立てて玄関の戸を開けると、あかねはそれに負けないくらいの大きな声で、ただいまと言った。 「おかえりなさいませ」 「なんだ頼久さんか」 「私ではご不満でしょうか?」 なんだ、と言われてしまった頼久は、出迎えが自分では不満だろうかとあかねに問うものの、そう言う自分の方がよっぽど不満そうな顔をしていた。あかねとて、何も頼久に不満があったわけではない。両親共に忙しく、自分が帰宅する時間は女中さんが二人ほどいるだけで、普段、自分の出迎えにはそのどちらかの人間が出てきていたのだ。それが今日はめずらしく頼久が出迎えてくれ、なんだ今日は家にいるのか、とそう思ったから「なんだ」と言っただけの話で、あかねにしてみれば、不満であるかどうかなどを問われても、そんなことはどちらでもいいことで、正直そこまで深く考えてなどいやしない。 「は?別にそんなこと言ってないじゃない。だいたい考え過ぎなのよ頼久さんは」 あかねは靴箱の横に置かれた椅子に腰掛けながら、編み上げ靴の紐をほどき、靴から足を抜くと足首から先をほぐすようにぐるりと回し、爪先を少しばかり上下に動かした。 「なあに?」 「い、いえっ」 頼久は柔らかく動く爪先に目をとめたが、あかねと目が合うとはっとした顔で目をそらした。 「なんなの?」 「いえ、その、上手いものだと思いまして……」 相手は八つも年下の少女だというのに、頼久は時折こんな風に上手く喋れなくなってしまう。あかねは人見知りしない性格なのか、最初に会った時から今と同じ調子だった。今でこそ「頼久さん」と呼んではいるが、つい最近までは、「頼久」と呼び捨てにしていたため、その呼び方はまるで取って付けたようなぎこちなさが残る。 それでも進歩したことには違いない。これからもあかね殿には、年上の人間を敬うという気持ちを持っていただかなければ。きっとこれまで誰からも教わってこなかったのだろう。それならば、世の中の道理を、私の知りうる全てを、あかね殿に教えて差し上げなければ。それを見過ごしてしまうのは、人間としてあまりにも無慈悲というものだろう。あかね殿が立派な方になることは、こうしてお世話になっている元宮家へのご恩返しにもなる。名前の呼び方ひとつを教えるのに、半年近くかかったことを思うと、先が思いやられるが、例え彼女に嫌われても、正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると、そう教え導くことが年長者の務めだろう。 嫌われても……そう思った瞬間に、頼久の胸の奥がズキンと痛んだ。 「別に、普通だよ。頼久さんもやってみれば?」 頼久があれこれと思いふけっていることなど知らず、あかねは靴を脱ぎ捨てると、頼久の横をすり抜け、ずんずんと廊下を歩いていった。 「あかね殿、靴を脱いだらきちんと揃えなくてはなりませんよ!」 「お腹すいちゃったなー。何か食べるもの無い?」 磨きあげられた廊下をすたすたと歩いてゆくあかねの後ろから、あかねの手さげ袋を持って頼久が追いかけてゆく。「あかね殿、あかね殿」と声をかけるが、いっこうに足を止める様子はない。開け放たれた縁側を通った時、風が吹き込んで、あかねの薄い色の髪を揺らした。あかねは「寒くなってきたから、そろそろ閉めたら?」とは言うものの、自分で閉める気はさらさらないようだ。そう思うならば自分で閉めればいいものを……頼久は仕方なく、袋を脇に抱えると、縁側にそって全部で八枚あるガラス戸を閉め、鍵をかけた。ふと見れば、あかねは大分先を歩いている。このまま階段を登ってまっすぐ自分の部屋へと向かうのだろう。 「あかね殿、これからお勉強なさるのに、教科書がいるのではないですか?」 頼久は自分があかねの通学用の袋を持ったままだということに気付き、その袋の中身が必要なのではないかと、あかねに声をかけた。立ち止まってもらわなければ、追いつけそうにない。こういう時にあまり広い家というのは不便なものだと頼久は思った。 「え?何が?」 「いえ、ですから、あ、あれ?」 だが、あかねは頼久が想像したように自分の部屋には向かわず、途中にある階段をそのまま通過すると、鼻歌を歌いながら台所へと入っていった。 「ちょ、ちょっとお待ちください!」 頼久は必死で後を追ったが、当のあかねは、もう台所に到着しており、頼久の耳にはあかねの返事は届くことはなく、ただ、嬉しそうな声だけが聞こえていた。
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