冷たくしてね。
[中編]



『神子、今日は遅い?それとも早く帰れる?』
『ふふ、どうしてー?』
『それは、えーと、ど、どうしてでも』
『どうしてでも?』
『そう・・・ねえ神子、今日早く帰ってきてほしい。できれば三時五十分までに』
『わかった。うん、いいよ』
『嬉しいよ、神子!』





 譲くんとは、グリーンゾーンと呼ばれている、上履きで歩いても良い外廊下の端っこで別れて、私は下校生徒の人波の中の人になった。
 歩き出すとすぐに腕時計に目をやり、しまったと思う。時計の針はすでに、今朝白龍から言われた三時五十分にほど近い時刻だ。けれど三時五十分に何があるんだろう?私に時刻を告げる時の白龍は、何故だかどこかしら誇らしげな感じがした。とにかく急いで帰らなくちゃ。

「神子!」
「は、白龍!どうしたの?何かあったの?」

 家で待っているはずの白龍が、目の前に立っている。
 徒歩で通える距離とはいえ、途中には歩道が狭く危なっかしい道もあるから、まだ一人では来ちゃだめだよって言ったのに。私の言うこと聞いてないのかな。それにやっぱり目立つし・・・なんかそういうのっていろいろ問題ありそうで・・・でもまあ来てしまったものは仕方が無いけど。でもやっぱりあんまりいい気分じゃない。

「神子の気が、なんだか悲しく感じたから」
「え、どういうこと?」

 だって、今の白龍にはもうそんな力無いはずでしょう?龍の力失ったじゃない。だってそうじゃなかったら私と一緒に時空を超えることだってできなかったはずだもん。

「ええと、前とは少し違うけど、でもわかる。神子のこと感じる」
「そうなんだ・・・そういうものなんだ」
「うん、神子の気だけ。悲しそうだったし苦しい?ような気も。何か、あったの?」
「別に、何もないよー。ほらぜんぜん元気だし、でも白龍、心配してくれてありがとう」

 嘘だ。
 何もないなんて嘘なのに、私はわざとらしく笑って、おまけに鞄まで振り回して見せてしまった。
 だけど、白龍は本当に私の気の変化を感じたのかな?確かにさっき少し、嫌だなという気分になった。でもそれは白龍と自分との関係を考えていて感じた気持ちだったから、正直に告げるわけにもいかないよ。だってそうでしょう?そんなこと言ったら白龍はきっと傷付いてしまう。

「ほんとうに?」
「え、どうして?本当に元気だよ、私」
「そう。ならいいんだけど、でも最近の神子、なんだか少しおかしいみたい」

 白龍はそう言って、一瞬、怒ったような困ったような顔をした。その表情を見たのは初めてじゃない。だけど、それがいつのことなのか、どこで見たのか私は思い出せなかった。そんなぼんやりな私が、しっかりと白龍を見上げた時には、もういつもの笑顔に戻っていた。
 白龍こそおかしいよ。・・・そう思うけど、何も言えなかった。怒ってるの?どうしたの?・・・白龍に投げかけたい言葉はたくさんあるのに、私は何ひとつ言うことができない。浮かんでくる思いを言葉にしないよう、私は急いで笑った。

「それより白龍、もうそろそろ三時五十分になっちゃうよ?急いだほうがいいんじゃない?ねえ、何があるの?今朝から気になって仕方ないんだけど」

 これは嘘じゃない。少し大袈裟な言い回しになってしまったけど、その時間にいったい何があるのか気になっていたのは本当。
 白龍がカレンダーの今日の日付に○印を付けたのが、確か一週間くらい前。ちょうどその頃から、一日に何度も「ええと、散歩」と言っては一人で外出することが増えた。本当に散歩なのか、すぐに帰ってきていたから取り立てて心配はしていなかったけど、今から思えば今日のために何か準備していたのだろう。でも一体、譲くんは何と言ってホワイトデーの説明をしたのだろう?

「ねえ、白龍ってば、ほんとに時間過ぎちゃうよ」

 何も言わない白龍に私はせっついた。白龍はきっと、何か他のことを考えてるんだ。ひとつのこと考え出すと、すぐに夢中になっちゃうから。でも、ほんとにもうすぐ時間なの。時計見せて驚かせてやろうかな。私はビックリしてあたふたとしている白龍を想像した、なのに・・・

「いい」

 え?

「べつに、急がなくてもいいよ、神子」
「なっ、なんで?だって、あんなにきっかり時間決めてたじゃない?」
「うん」
「時間は関係なかったの?何時でも大丈夫なの?」
「ううん。三時五十分がよかった、けど、もう間に合わない」
「そっ、そんな!どこに行くのかわからないけど急げばまだ間に合うかもしれないよ」
「そうかもしれない、でも、いい」
「どうして?」
「気が、変わってしまったから、かな」

 気が変わった?なにそれ?
 そんなのって信じられない、なんで?その程度の予定なの?
 だったらどうして早く帰ってこいだなんて言うわけ?部活あることだって知ってるじゃない?普段からそんな時間に私が家にいたことなんてないじゃない?そういうの全部知ってて言ったんでしょう?それくらい大事な時間・・・じゃなかったの?それを気が変わったから、だなんて、なんだかバカにされてるみたいですごく嫌。でも、もっと嫌なのは、

「そうなんだ」

 にっこりと笑う私。
 こんなふうにまた、浮かんだ思いを言葉にしないように急いでしまう自分。
 

「じゃあ、どうする?まっすぐ帰る?それともまだ早いし、久しぶりにどこかカフェでも寄ろうか?白龍、甘いの好きだったよね?」

 そう言いながら歩き出す。白龍の返事はない。下校生徒の一人が私の顔を振り返りながら追い越していった。私はその生徒が、私だけでなく、私の少し後ろに立つ人物をも見ていたことに気づいていた。私も、おそるおそる振り返る。

「白龍・・・?」

 白龍は一歩も動かずに、さっきと同じ場所に立っていた。
 視線の先・・・そのわずか二、三歩の距離が、とても長く感じた。坂道のせいか、普段からの身長差がさらに広がってしまって、このまま見上げていたら首が痛くなるんじゃないかと思う。
 「帰ろうよ」私が一歩踏み出した時、白龍は今まで以上に強い視線で私を見た。

「望美・・・あなたは、いつまでそうしているつもり?」

 立ち止まった。白龍の言葉は目的詞の抜けたものだったけど、何が言いたいのか不思議と伝わってきた。
 そして、初めて名前を呼ばれた。

「どういう意味?」
「神子、私の言うことは、わからない?」

 私は首を縦にも横にも振らず、何も言わず、白龍の言葉を待った。

「それとも、私は、神子の世界に来たことは間違っていた?あなたを苦しめている?」

 そんなことない。違う、違う、違うんだから。そんなことないんだから。白龍が私の世界に来なかったら、私があの世界に残っていたんだから。泣くほど一緒にいたかった人が、あなただったの。だからとてもとても大切で、なのに今、白龍は私の手を離そうとしているの?

「そんなことない。そんなこと言わないで白龍」

 いくつもの視線が突き刺さる。何を言っているのか聞き取れないけど、みな私と白龍を振り返りながら追い越してゆく。

「神子・・・。なら、どうして、そんなにも、まるで鎧を身に着けているみたいに、私を遠ざける?」
「え・・・」

 ―― そんな隙だらけの鎧で・・・

 ポツリと言った白龍は、さっきと同じような、困ったような怒ったような顔をしていた。どこかで見たことのある顔・・・。この顔を見たことがある。確かに見たことがある。
 あ・・・
 まだ、私が白龍に思いを伝えていない頃、白龍の気持ちも知らない頃・・・確か、神子の力が消えて、白龍が傍に来ただけで私は苦しむようになって・・・あの時の白龍の顔だ・・・あの時、悲しそうな目で私を見ていた白龍の。

「もしかして、白龍は悲しいの?」
「悲しいよ。だって、神子が悲しんでいるから、寂しがっているから、震えているから・・・とても悲しいよ、神子。それに・・・」

 白龍の方が泣きそうな顔をしていた。

「神子は、それを教えてくれない。前は何でも話してくれていた、それなのにいつからか、怒っていても、悲しくても、教えてはくれない。いつも笑って、苦しそうだよ」

 どうしてわかるんだろう。
 いつからか、欲しいものが欲しいと言えなくなってしまっていた。
 言ってしまえば、その途端に終わってしまう、そんな気がして怖かった。
 白龍の言葉に、態度に、不満があったわけじゃない、白龍の考えてることがわからなくて、ただとても不安だっただけなんだ。笑っていなければ不安で、とても苦しかった。

「神子、私は男だ」
「知ってるよ」

 泣きそうだったから、わざと素っ気無く答えた。そんなこと知っている、私は白龍という男の人に恋をしたんだから。

「違う。神子は少しも知らない」
「どうしてよ」
「私の言葉がつたないのが、悪いのかもしれない、でも、私は男だよ、神子。あなたよりも、ずっと大人の男だよ。だから」
「だから?」
「そんなに優しくしてくれなくても大丈夫。私はきっと、大丈夫」
「それって、もっと突き放せってこと?冷たくしろってこと?」
「そう、それと、ええと、私はどんなあなたでも受け止められる。だから大丈夫、いつでもほんとのこと話してほしい」

 本当のこと?本当に大丈夫?今まで打ち消してきた気持ち、話しても私のこと嫌いにならないでくれるの・・・?

「白龍?私、ほんとはもっとすごく我がままで、意地悪で、ほんととんでもないんだよ」
「知っているよ」

 白龍がクスリと笑った。
 知ってるって何よ!!私がいつ我がまま言ったって言うのよ!

「ちょっと白龍、どういう意味よそれ?私がいつ?」
「いつでも、神子はそのままを私に見せてくれていたから」
「私のそのままって・・・」

 カーっときた私は、思わず白龍につかみかかっていた・・・つもりが、いつの間にか私の目の前には白龍の胸があった。両手が動かせない、多分白龍が掴んでいるんだろう、けれど私はそれを見ることができなかった。押し付けられていた白龍の胸がわずかに動いて、目を開けようとした私のまぶたに次に触れたのはあたたかな白龍の指先。頬にかかった吐息と同時に聞こえたため息は私の?それとも彼のだろうか?やがて吐息は、ゆるく開かれた私の口から体の中へと流れ始める。・・・はじめてだった。はじめてなのに、誰にも教えてもらったことなんてないのに、私は自然と唇をひらき、それを受け入れていた。

「は、白龍、私、キ、キス、キス・・・」
「私は大人の男だと言ったでしょう?キス?その言葉はまだ知らないけれど、こうして神子に直接想いを吹き込むこともできるよ」
「だ、だから、キ、キス!」
「大丈夫。どんな神子も好き。神子の全部が好き。あなたを守るために私がいるんだ、だから何も隠さないで、我慢、しないで、お願い、神子」

 何が起こったのか、しばらく理解できなかった。
 ただ、白龍が大人だってことと、私のファーストキスの相手は白龍になったことだけは理解できた。あとは何がなんだか・・・混乱して・・・もう、どうでもいいや。





NEXT