美しき町 2 |
「アリオス、見てよ、綺麗でしょう!」 アンジェが言う通りに、湖は美しかった。 迂闊にも涙があふれそうになるくらいの美しさで俺を迎えてくれた。 だけど、それ以上に俺の心を揺さぶったのはアンジェの笑顔だ。こいつと出会って一ヶ月の間に、いろんな顔を見てきた。怒った顔、泣いた顔。俺の腕の中で恥らう顔。そして笑顔は数え切れないほど。 それらの顔はすべて幻だったのではないかと思うほど、この時のアンジェの笑顔は輝いていて、それはきっとこの町でしか見れない笑顔だと思った。 この笑顔を自分だけのものにしたい。いつだって自分の隣でアンジェに笑っていて欲しい。 心の底からそう願った。誰にも渡したくないと。 なのに、それをどうやって伝えればいいのかわからない。俺は初めて芽生えた感情を持て余して、いくつもの言葉を飲みこんだ。 湖のほとりに座って、とりとめのない話をする。 二人とも朝から何も食べていなかったから買いこんだ食料はすぐに底をついた。それでも俺は意味の無い話を繰り返しては、今を、こいつと過ごす時間を少しでも引き伸ばそうとしていた。けど、そんな会話が長く続くはずはなくて、俺は懸命に話題を探してはそれに失敗する。 「ねえ、アリオスは幸せ?」 何を話せばいいんだ、と半ばやけになりかけた時、アンジェが俺に聞いてきた。 幸せ?何が幸せかなんて俺にはわかんねーよ。 しかたないから俺は何も答えずに同じ言葉をアンジェに返した。 「そういうお前はどうなんだよ、幸せなのか?」 「んーそうだね。多分幸せだって思う」 アンジェの声が少しだけ寂しそうに聞こえた。 「そうか・・・」 「そうだね。今は幸せって思う。でもこれでいいとは思ってないんだ、もっと幸せになりたいって思うよ。でも、こうやって幸せになりたいって思えるってことが幸せなんじゃないかな?」 「なんだよ、そりゃ。意味わかんねーし。」 アンジェの言っていることは、なんとなくわかったけど、素直になれなかった。 俺のそんな言葉に少し微笑むとアンジェは「笑わないでね」と言いながらまた話し始めた。 「私にも夢があってさ、今は雇われてるけど、いつかは自分でも店がやりたいんだ。小さなお店でいいから、愛する人と一緒にね。私のパパとママがそうだったように。二人で料理を作って、みんなに食べてもらって。近所の人達からは『本当に仲の良いご夫婦ですね〜』なんて言われたりしてさ」 そこまで言うとアンジェは自分の言葉に照れたのか、頬を染めて下を向いた。 「くっ・・・・・ささやかな夢だな」 俺はアンジェの言葉を裏切って笑った。だけど馬鹿にして笑ったんじゃない。 アンジェのことを笑ったわけでもない。 ただアンジェの夢を叶えてやりたいと、そんなことを考えてたら、何故か自然に笑っていた。 「もう。やっぱり笑った・・・」 アンジェが俺を睨み付けた。でもその顔はすぐに小さな笑顔に戻って 「でも・・・アリオス・・・今日初めて笑ったね」 アンジェの言葉に思わずたじろいだ。今日だけでなく、こんな風に穏やかに笑うことはこれまでには無かったから。 「こうしていつでもアリオスが笑っていられるように・・・・」 そう言うとアンジェは両手で俺の頬を包み込んだ。 「はい・・・幸せのお裾分け」 アンジェの言葉を決して真に受けた訳じゃない。でも頬に触れられた掌から本当にアンジェの幸せが伝わってくるような気がした。 「アンジェ、俺は・・・」 この町に残ってお前の夢を叶えたい・・・・ そう言いかけた俺に、アンジェは「帰ろう、アリオス」と、俺の言葉を途中で止めて、何事もなかったかのように片付けはじめた。少ない荷物はすぐにバッグに収まる。 ああ、これでいいのかもしれないな。いや、言わなくてよかったんだ。 俺達は、ここに来た時と同じ道を戻っていった。 夕暮れにはまだ早かったが、太陽はいくぶん沈みはじめていて、今朝歩いたはずの街なのに、違う場所を歩いているような気分だった。それとも俺の気持ちが今朝とは変わっていたからそう見えたのだろうか。 アンジェも俺もただ黙って歩いた。俺は言葉にできない気持ちを持て余しながら、アンジェは・・・・何を思っていたのだろう? 俺の泊まっている宿の前まで来ると、アンジェが急に立ち止まって俺を見上げた。そしてゆっくりと口を開いて 「じゃあね。アリオス」 そう言うと、アンジェは俺に背を向け、一度も、たったの一度も振り返ることなく歩いていった。 じゃあな、アンジェ 俺は声に出さずに呟いた。 結局最後までアンジェに何も言えなかった。たった一言で全ては変わっていたかもしれない。だけど臆病者の俺は自分の気持ちさえ言葉にできなかったんだ。 ただ一言「愛してる」と、それすら言えなかった。 この街を出よう。 今夜、この街を出ていこう。 |
NEXT |