美しき町 1









 狭い部屋の中に自分ではない足音が聞こえる。


 ああ、夢だったのか・・・・・


 俺は眩しい日差しに目を細めながらあいつを探した。
 あいつは、アンジェは朝っぱらから鼻歌なんか歌ってキッチンの窓から外を眺めてた。
ああ、本当に夢だったんだな。アンジェ、お前はそこにいるんだな。


 いまだにあの頃のことを夢に見る。
 お前はいつも俺の夢の中で泣いてるんだ。


「ごめんね、ごめんねアリオス・・・・ごめん・・・」


 アンジェが俺の腕の中で泣きながら謝る。


「ごめんね、アリオス私がいるからこの街を出れないんでしょう?・・・・行っていいよ・・・」


 夢はいつもそこで途切れる。俺に何も言わせてはくれない。
 もっとも、お前に言葉をやったことなんて一度だってなかったけど。



 誰かを想えば想うほど人は滑稽になるような気がするぜ。



 あの頃の俺はお前に「愛してる」と言ってはならないと、必死でこらえていた。
だけどそれがお前だけでなく自分も追い詰めていたなんて・・・笑えるだろう?そうさ、心の底では滑稽なほど、お前を欲しがってた。お前を愛してた。お前に愛されたかった。



 今なら全部笑い話さ。
 ほら、淹れたてのコーヒーの香りが鼻をくすぐる。お前の視線を全身で感じる。

 夢だったんだ、夢でよかったと、俺は幸せとでも呼べそうな気持ちで、もう一度目を閉じた。
だからアンジェ、今、お前の瞳に映る俺の顔は・・・笑ってるだろう?



 アンジェ、お前は笑っちまうほどの幸せを俺にくれた、そう、あの日の約束とおりに。







 一ヶ月前のある日、アリオスはこの街に初めて足を踏み入れた。

 この街・・・全宇宙から人が集まり、そしてまた旅立ってゆく通り道。

都会へと夢を追いかけて歩き出す若者。
夢破れ故郷へと駆け出す、いつの日かの少年少女。
幸せを疑うことなど知らずに夜空をゆく恋人。
巣立ちを見届け、再び二人で列車に揺られようとする偉大なる母親、父親。
また自らも、その偉大なる親になろうと胸膨らましながらアクセルを踏む若き夫婦。
あての無い旅を続けるために長距離バスに乗り込む永遠の旅人。


 様々な人間が集い、行き交い、そしてまたこの場所から出てゆく


 アリオスもまた、その熱に引き寄せられ、そしてここから旅立つ者の一人だった。



 一夜の宿を求めて、降り立ったはずのこの街で、ふと立ち寄った店で働くアンジェリークとの出会いがアリオスの足を止めている。

 その日から毎晩、客もまばらになる遅い時間にアリオスは店を訪れ、仕事を終えたアンジェリークを連れて自分の泊まっている安宿へと戻る。
 アンジェリークの働く店の付近は、眠らない街特有のライトアップにより眩しいほどの明るさだが、大通りから角をひとつ曲がっただけで、幕が閉じた舞台のように辺りは急速に闇に包まれてゆく。
時折思い出したかのように立っている街灯の下には読み捨てられた雑誌、そしてその上には、恋人同士なのだろうか、二匹の猫が寒そうに身を寄せ合うようにして眠っていた。


「今さらどうしろってんだ」


 アリオスは小さく舌打ちする。
 何かを見つけたくて旅を続けてきた。何を求めているかもわからずに。
だけど、こいつに出会って、生まれて初めて守りたいものができたんだ。愛したい女が。
こうしてアンジェと並んで歩く時間が永遠に続けばいいとさえ思う。本当はいつだって優しさに飢えて、剥き出しの寂しさを抱えてるんだ。

 だからこいつらノラ猫のように、自分を守るためなら相手が誰だろうと容赦なく切り捨てる。
今までだってずっとそうしてきた。
これからだって俺はそうやって生きていくことしかできない。
今さらどうしろって言うんだ。
 お前を愛してると、お前に愛されたいと願ったところで俺に何ができる・・・。何もできやしないじゃないか。今まで通り旅人でいるしかないんだ。


 アンジェ、だから俺は決してお前を愛してるとは言わない。

 いつか、そう遠くないいつか、俺がここを出ていった時、お前が俺を消せるように、そうだ、ふっと一息で吹き飛ばしてしまえるように、愛してるとは決して言わない。


 だからせめて今だけは、俺の隣にいてほしい。


 アンジェリークの肩にアリオスの腕がかかる。
 普段とは違う、その腕の力強さにアンジェリークは怪訝な顔でアリオスを見上げるが身体ごとグっと引き寄せられると、何も言わずにアリオスに寄り添った。


 宿の部屋に戻ると、二人はどちらからともなく抱き合い、服を脱ぎ始めた。
互いの素肌から痛いほどの想いが突き刺さって、心にいくつもの穴を開けては、それを塞ぐように、また強く抱きしめあい、訳もなく互いを求めた。



 翌朝、アンジェリークが目を覚ますと、アリオスは既にベッドから出て着替えも終えていた。
めずらしく開け放たれた窓から朝の光が部屋中に広がっていて、いつもと違う空気に、アンジェリークの心に一つの確信が芽生えた。


 アリオスはとうとうこの街を出ていく。それを止めることなんてできない。







「おはよう、アリオス、今日はいいお天気だね」

 できるだけ普段通りの声を出そうと頑張ったけど、成功しただろうか?

「そうだな」

 アリオスのそっけない返事に次の言葉が見つからなくて、それを誤魔化すように少し微笑む。

「なあ、アンジェ、お前今日、昼は休みだったよな」

 ああ、そうだった。今日は夕方までにお店に行けばいいんだった。

「うん、そうだけど」
「たまにはどっか出かけるか?」

 アリオスが笑ってる。
 そして私は・・・出かけようって誘われて嬉しいはずなのに、私はぼんやりと窓の外ばかり眺めていた。
 いつもはほんの少しだけ開けられた窓の隙間から見ていた景色も、こうして開け放たれ、明るい光の中で見ると全然違った街に見えるんだなって、そして、もう二度とこの部屋から街を見下ろすことはないんだなって、そんなことを考えながら。
ぼんやりとした私を横目で見ながらアリオスが唇を尖らす。

「嫌なら別にいいけどな」

 アリオス、今なんて言ったの?向こうむいてちゃよく聞こえないのに。

「え?なあに?」

 まだこっちを向こうとしない。いつだって自信満々なこの男でも照れるってことがあるのね。

「嫌ならいいって言ったんだ。別に無理するこたぁないからな」

 壁に向かって怒鳴っちゃって・・・それで私に言ってるつもりなの、アリオス?
最後くらい困らせてやろうかな?それとも・・・最後くらい可愛い女でいようかしら。

「嫌なわけないじゃないの!そうだ!ピクニックに行こうよ。アリオスの知らないところへ案内してあげる」

どっちにしたって最後に変わりはないんだ、そう思ったら途端に私は可愛い女になることも、アリオスを困らせることも、どちらからも興味がうせた。
そして急に自分のお気に入りの湖をアリオスに見せたくなった。見せなくては、と思った。
どうかこの街を覚えていて欲しい。そして私のことも。


 私は急いで着替えを済ますと「ああーピクニックだぁ?」なんて面倒くさそうな声を出すアリオスを無理やり部屋から連れ出し、湖までの道すがらで少しずつピクニックに必要な物を買い揃えながら歩いた。


 必要な物と言っても、たかだか二人だけのピクニックならば商店街を歩けば大抵のものは手に入れることができる。
 焼きたてのパンに、ハム、チーズ、新鮮な野菜。瓶詰めのピクルス、少しのクッキーにソーダ。そしてアリオスにはビール。アリオスは口汚く文句を言いながらも私について歩いた。


 商店街を抜けると、放射線状に住宅街が広がり、人々の暮らしがそこに息づいている。
そんな通りをのんびりと10分も歩けば、辺りから既に人家は消え、道幅は急激に細くなって森へと続いていた。何百本もの木々が重なりあって薄暗い森の中にも、よく見れば必ず誰かの歩いた跡があり、その上をたどると永遠に続くかのような闇は突然に姿を消して、目の前に草原が広がって中心には湖がその水面を光らせていた。


 普通旅人はこんな場所に来ることなんてまず無い。近代的なビルの立ち並ぶこの街の中心地だけを見て、すぐに次の土地へと旅立ってしまうから。だけどちゃんとこの街にも、町があって村がある。
 人々の暮らしがあり、暖かい灯りがある。子供が生まれ、育ち、やがて時間とともに次の世代へと生は続く。


 アリオス、私もこの町で生まれて、育ったんだよ。そして今、この町で生きているんだ。






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