風邪にご用心
Battle on the Bed






「ん〜〜」

 頼久の隣であかねが唸り声をあげた。
 そんなあかねを見つめていた頼久が、クシュンと一つくしゃみをする。
 今、二人は同じベッドの中にいた。



 ことの始まりは、あかねが企画した卒業旅行。
女の子だけで思い切りロマンチックなホテルに泊ろうと、雑誌やインターネットを駆使して見つけた高原の隠れ家のような高級ホテル。
あかねは何ヶ月も前から、卒業の記念に親友と二人で旅行に行く計画を立てて、それを楽しみにしていた。

 なのに何故、隣にいるのが頼久なのか。
 簡単に言ってしまえば、あかねは親友にドタキャンされたということになる。その友人に言わせれば「こうでもしなきゃ、あの子たちいつまでたっても新婚旅行できないじゃない?」ということにもなるのだが、彼女も今、恋人と同じベッドの中にいることを考えると、この発言を全面的に信じてよいかどうかは悩むところである。


 友人からキャンセルされた当初こそ「信じられない」と怒ったあかねだが、怒ったところでどうなるものでもない。
どうしても自分が見つけたホテルに泊りに行きたかったあかねは、考えあぐねた結果、頼久を巻き込むことにした。
「ハネムーンってのはどうかな?このホテルにはどうしても行ってみたいし、それに頼久さんもきっと喜んでくれるよね。うん、ハネムーンだよ。それがいい!」
そうと決めたら後の行動は早い。
さっそくホテルに交渉し、予約していた部屋をツインからダブルへと変更してもらった。こうしてあかねの卒業旅行は、急遽、予定変更となり頼久とのハネムーンとなった。そして今、計画変更後の予定通りに頼久と二人でその部屋の中にいる。




 あかねが苦労して選んだホテル。その窓から見える景色は素晴らしく、部屋は・・・・・・とてつもなくロマンチックだった。

 ドアを開けてまず目に飛び込んでくるのが天蓋付きの豪華なダブルベッド。脚はもちろん猫脚になっていた。その上には枕が二つ、それから風で飛んでしまいそうなほど軽くて柔らかな羽毛布団が一枚、文字通りふんわりと乗っかっていた。
クリーム色の壁に、こげ茶のアンティークの家具が並ぶ。バスルームは広く、その真白な空間には緻密な細工の施された大きな鏡がかかっていた。

 あかねはその部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、心の奥で「うわぁ〜素敵すぎる!」と叫んでいたが、実際にあかねの口からは「ううぅ・・・何だったのよあの急カーブ・・・気持ち悪すぎるぅ・・・寝る」という、よれよれの言葉しか出てこなかった。
隠れ家のように奥まった場所に建つこのホテルに来るには、鬼のようなカーブが続く山をいくつも越えなければならない。その為にすっかり車に酔ったあかねは部屋に入った途端、ぐったりとベッドに倒れ込んだ。

 一方、頼久はといえば、乗り物酔いもせず自身はいたって元気なれども、目の前で倒れ込んだあかねは心配だし、そのあかねの寝ているベッドは何やら妙に気恥ずかしいし・・・と、いつも以上にオロオロしていた。

 やがて夜になり、あかねの具合も多少はよくなったものの、二人は楽しみにしていたディナーもそこそこに部屋へと帰る。頼久に一言「寝る」と言うと、あかねはざっとシャワーを浴びただけで、またすぐにベッドに入った。

「お湯に浸かったほうが疲れがとれるのでは?」

 そう頼久が声をかけたが「いいの、もうめんどくさいから」とベッドの中からやる気のない声が返ってくるだけだった。
そう言われてしまえば、頼久にはもう返す言葉がない。しかも未だグッタリとしたあかねを放っておいて、一人だけゆっくりと風呂に入るわけにもいかず、自分もまたシャワーだけで済ませると、あかね同様、早々とベッドにもぐりこんだ。


 枕元の小さな灯りだけを残して頼久が部屋の電気を全て消すと
「ごめんね、せっかくの旅行なのに・・・」あかねが小さな声で呟いた。

「そんなこと気になさらずに、ゆっくり休んでください」

 頼久とてあかねと二人きりの旅行。それも初めての。しかも新婚旅行であるからして何も期待していないわけではなかった。が、具合の悪そうなあかねを前に、そんなことを考える余裕は頼久にはない。頼久は、早くあかねが元気になってほしい、ただそれだけを願っていた。

「おやすみなさい、あかね殿」

 スタンドも消して闇の中で目を閉じる。
 だが、どうもあかねの様子が気になって仕方ない。さっきから右を向いたり、左を向いたり、そんなことを繰り返しては、時おり小さな唸り声をあげているようだ。


 やはりまだ具合がよくないのだろうか・・・・・・


 頼久は思い切って声をかけた。

「あかね殿、どうかしましたか」
「ん・・・」
「まだ気分がすぐれませんか?」
「あ、ううん、そうじゃないんだけどね。何だかこの枕がさ、柔らかすぎるっていうのかな」
「ああ、枕が違うので眠れないのですね」

 よかった・・・具合が悪いわけではないのか。
 頼久はほっとして安堵のため息を漏らす。

「ねえ」

 ほっとしている頼久の肩をあかねが指先でちょんちょんと突付いた。

「どうしました?」
「あのさぁ、頼久さんは眠れるの?この枕で大丈夫なの?」
「ええ、武士は何処ででも睡眠を取れるように鍛錬をつんでおりますので、ご心配にはおよびません」
「ふうん、そっか・・・・・・」

 あかねのその小さな返事に、頼久は声を出さずに笑った。
彼女が唇を尖らせて、少しばかり頬を膨らましている様子がありありと目に浮かんだからだ。

「あかね殿」

 頼久はあかねの体を自分へと引き寄せた。

「え?」

 いつになく強引な頼久に、あかねは驚いて声を上げたが、頼久はかまわずにあかねの頭の下に自分の腕を回し入れた。

「これで・・・どうでしょうか?」
「あっ」

 あかねは自分の首にあたっている頼久の腕の感触に、自分の体の余計な力が抜けて、すうっと楽になっていくのを感じた。

「ねえ、頼久さん、これっていつもの高さだ」
「眠れそうですか?」
「うん、きっと大丈夫」

「ありがと」・・・あかねが頼久の腕にそっと唇を寄せた。

 その瞬間、頼久の体がビクっと震えたが、それでもそのまま腕を動かさずに
「ゆっくり休んでください」
そう言うと、頼久もまた目蓋を閉じた。




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 脚の間が妙に生温かい。

 そんな感触に頼久は目を覚ました。どうやらウトウトしていたらしい。
夢でも見ていたのかと思ったが、どうも違う。やはりおかしい・・・これは・・・

 頼久がおそるおそる自分の股間に手を伸ばす。

「あっ・・・・・・」

 その手に触れたのは、他の誰でもないあかねの手であった。

 あっ、あかね殿っ・・・

 心なしか、あかねの手に少しずつ力がこもってきているような気がする。違うかもしれない、けれどそんな気がする、いや、そんなはずはない、しかし、この感触は・・・頼久の神経は最早そこに集中しきっていた。
 
 ・・・起きておられるのだろうか?

「くっ」

 あかねの顔を覗き込もうとした瞬間、それを知ってか知らずか急に握られて、思わず声をあげてしまった。

 ああ、あかね殿・・・

 体勢を整えて、そっとあかねの様子を伺うと確かに眠っているようだ。自分に触れているのは無意識なのだろう。だが、時折「んんっ・・・」と、何とも悩ましげな声が聞こえてくる。その声が自分に触れるあかねの指の動きと上手い具合に重なって、頼久は一人悶々とした時間に入り込んでしまった。

 だめだ、何を考えている。あかね殿は具合が悪いのだぞっ。

 自分で自分を言い聞かせようとするが、意識すればするほど頭はそちら方面のことばかりに冴えてゆくようで、天真が教えてくれた「新婚旅行=ハネムーン=蜜月」という単語を思い浮かべ、そこはかとない色気を感じてしまい、思わずあかねの体に手が伸びそうになる。
 だが、ともすれば理性という言葉など簡単に捨ててしまいそうになる自分自身と必死で戦っている頼久の思いなどおかまいなしに、あかねは無意識ではあろうが、頼久を煽るように体を摺り寄せては「んっ・・・」と甘い声を漏らしていた。
その柔らかな髪が頼久の鼻先に触れた時、彼の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。

 あかね殿っ、申し訳ありませんっ。この頼久、もうっ、もうっ・・・!!!

「あかね殿っ」

 頼久があかねの体を抱き寄せようとした、まさにその時、「うう〜〜ん」と、今までにないほどの大きな唸り声をあげてあかねが寝返りを打った。
しかも、一枚しかない布団をしっかりと自分の体に巻きつけて・・・。

「あ、あかね殿?」

 ぽかんと口を開いたまま、頼久の体はそのまま硬直した。


 その後もあかねは何度も寝返りを打ち、その度に布団はさらに体に巻きついて、すっかり蓑虫状態となったあかねとは逆に、何も掛けるもののなくなった頼久の体はどんどん冷えていった。

「寒い・・・」

 頼久はあかねを起こさないように、そろそろと布団を引っ張ってみたりするのだが、少しでも触れようものなら「んんっ」と不機嫌そうな声をあげられ、バタンと腕を振り下ろされる。最早、あかねの睡眠と枕など何の関係もなかった。

 ベッドの上に正座したまま、しばらく様子を伺っていた頼久だったが、一向に目を覚ます気配はなく、もちろん布団を手放す気配などもないあかねに、諦めたのかいつしか横になると己を守るようにその大きな体を丸めた。足の指まで丸まっていた。




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「おはよー」

 翌朝、頼久が目を覚ますと、そこには輝かんばかりの弾けるようなあかねの笑顔があった。
ふと自分を見ると、きちんと布団がかかっている。

 おかしいな・・・・・・

「頼久さんってば、夜中暑かったの?ぜんぜん布団かかってなかったよぉ。ちゃんと気をつけないと風邪ひいちゃうから」

 え?・・・あ、あかね殿、しかしそれは!!

 そう言う間もなく、頼久がクシャンと一つ大きなくしゃみをした。

「ほらねぇ、だから言ったでしょう」

 あかねが腰に手をあてて、やれやれといった顔で頼久を見る。
 頼久は・・・きっと彼も言いたいことは山ほどあっただろうが、あかねの元気そうな姿に、彼女が元気ならばそれでいいと、一言「すみません」と謝るとベッドから出て身を整えた。

「頼久さん、今日は昨日の分も楽しもうね」
 と、元気一杯なあかねに、やんわりと微笑みを返すのが、今の頼久の精一杯。彼はとてつもなく大きな戦いを一つ終えた気分だった。

 だが、にっこりと笑うあかねを見て、頼久はあることに思い当たる。

 そうだ、まだ今日一日残っている。あかね殿も元気そうだ。
 今宵こそ、あかね殿とハネムーンとやらを楽しめるのだろう。
 ああ、なんでまだ朝なのだろう。夜が待ち遠しくて仕方が無い。いや、自分としては夜でなくても一向にかまわないのだが、天真がハネムーンとやらは夜のほうがムードがあると言っていた。あかねもそういうほうが好きだろうとも。とにかくは今宵、そう、夜までの辛抱だ、頑張れ自分。

 自分の考えで途端に元気が出てきた頼久は、さきほどとは打って変わって「ええ、今日は楽しみましょう」と、あかねに目一杯の笑顔を返した。

 あかねも頼久も二人とも笑顔だった。二人とも幸せだった。とりわけ頼久はいつもの彼からは想像もできないほど穏やかな顔で笑っていた。



 だが、その日の夕方には本格的に熱を出してしまうことになるなど、頼久はまだ知らない。そして再び自分が丸まって眠ることなど、知るはずもない彼であった。




END


(2002年秋発行コピー本「A DAY IN THE LIFE」より)
2004,01,27修正済み


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