真白な光の中で、我が名を呼ぶ声。

真白なベールのように我が身を包み込む。

その愛しき音は、まるで、天の声のようで

願わくば……





 頼久とあかねの暮らす家に、毎日、毎朝、どこからか小鳥が一羽やってくる。
 ふたりの小さな家の上をくるくると何度か回り、小さく鳴くと、またいつの間にかどこかの遠く高い空へと飛び立ってゆく。



 古い部屋の、ただひとつの自慢でもある大きな窓から、眩しすぎるほどの光が差し込んで、その白さに頼久は夢から覚めた。
 まだ目を開けきらぬうちに左手は無意識にシーツを探り、指先がその冷たさにあかねの不在を感じ取ると、頼久はようやっと目を覚ました。だが、あかねを探すより先に、台所からあかねの明るい歌声が聴こえて、それは毎朝繰り返されることなのだけれど、頼久は深く息を吸い込むと、もう一度目と閉じ、あかねを待った。

「頼久さん、起きてる?」

 鼻歌を歌いながらあかねが頼久を起こしに来る。
 聴いたことの無い歌だが、あかねの歌は頼久をいつも優しい気持ちにさせる。

 頼久の左側、ベッドの丁度半分、いつもの場所、あかねの場所に、あかねがストンと腰掛けて頼久へと顔を寄せる。

「頼久さん、おはよ」

 あかねは指先で、頼久の前髪を左右へ掬い分けながら声をかけた。そして頼久が、はにかむように「おはようございます」と応えると、あかねはにっこりと笑って

「たまには一人で起きてくださいね」

 そう言いながら、朝食の支度へと戻ってゆく。それが毎朝の出来事。ふたりの日常。だが、今朝のあかねは頼久の左側に座ったままだった。

「ねえ、見て」
「どうしたんですか?」

 あかねは頼久の眼の前に、コップを差し出した。光を反射してキラキラと輝く水の中には真白な綿の花が一輪、微かに身を震わせていた。

「ほら、こうすると可愛いかなって」
「たんぽぽ……ですか?」
「うん、綿毛。こうして飾ると可愛いかなって思ったんだけど、でもね」
「でも?」
「……うん」

 あかねは、まだ起き上がらない頼久の向こう側へと手を伸ばして窓を開け放った。そして、タンポポに思い切り息を吹きかける。

 あ、という間もなく綿毛はふわふわと舞い上がり、穏やかな風に乗るように部屋の中から空へと移動していく。その様子が頼久にはまるで空から綿毛が降ってきているように、真白なベールが降りてきているように見えた。

「やっぱり、こうしたほうがいいよね」
「あかね……」
「ん?」
「おいで」

 何もかもが揃う、すべてに手が届く、現代というあかねの時代。それでも、たった一人しかいない、あかね。二度とは巡り合えないただ一人の人と、天から降り落ちる真白なベールに包まれていたい。

 頼久は体を半分起こして、自分の足の間にあかねを座らせると、後ろから腕を回してあかねを抱きしめた。そして、あかねの肩に自分の顔を乗せながら、移動してゆく綿毛を見上げた。


「綺麗ですね」
「うん、キレイだよね」


「あかね……」
 この世にたった一人しかないない、大事な人の名を呼ぼう。いつか声が出なくなる日まで。

「頼久さん」
 あかねが天の声で自分の名を呼んでくれるように。


 いつの日も、少し調子のはずれた、それでも何よりも愛しい歌声で目覚めたい。願わくば、互いの声が消えるまで。二人の時間が最後のベールに包まれる日まで。
 二人の時間をすべて二人で使い切ることができるように。そっと祈りながら名を呼んだ。

 あかね……

 いつの間にか、綿毛はどこか遠くの空へと消えていた。真白なベールはもう部屋には一つも残っていなかった。
 その様子を小鳥が眺め、二人の上をくるくると回ると、一つ鳴き声を落とし、綿毛を追いかけるように、また高く遠い空へと飛び立っていった。


 頼久はベッドから起き出し、顔を洗う。あかねは台所へと戻り、再び歌が流れ出した。


 明日もまた小鳥はやってくる。
 あかねは調子のはずれた歌をうたい、そして頼久は明日もまた天の声で目覚めるのだろう。

[了 / たんぽぽ]
※タンポポの花言葉・・・・朗らかな歌声