新春の喜びに街は賑わい、澄み切った青空には時折大きな音を轟かせて花火が打ち上げられる。
参道のはるか手前から立ち並ぶ出店や屋台に人が群がって、その奥にある境内は既に人の熱気で溢れかえっていた。
 大人も子供も、その顔は楽しげに綻んで、道の左右に張り出した店先を覗き込んだり、高い空を舞う凧を見上げたりしている。

 そんなごった返した人込みの中で、慣れない着物に身を包んだあかねは幾度も人に体当たりをして時には弾き返されていた。

「あかね、手を」
「あ、うん」

 頼久が危なげな足取りのあかねの手を取り、ぐいと自分のほうへと引き寄せる。あかねの真っ直ぐな髪がふわりと揺れて、そこから流れ出す少し汗ばんだような特有の甘い香りが頼久の鼻腔をくすぐった。
「頼久さん?」
 伺うような声に、頼久は自分があかねの手をきつく握り締めていたことに気付いた。
「あ、すみません。痛くなかったですか?」
「うん平気」
 急いで手を離すと、あかねがそれを追いかけるようキュっと握ってくる。え?と頼久があかねを見れば、そこには自分を見上げる柔らかな眼差しがあった。
頼久は思わず目を細めると、あらためて自分の手を握るあかねの小さな手を開き、細い指をほどいてゆくと、その隙間を埋めるように自分の指をしっかりと絡ませた。 

「あ、頼久さんちょっと待って」
 あかねを守るようにして歩いていた頼久の手が、急に引っ張られた。
その先に目をやれば、参道の出店の中でもとりわけ若い女の子ばかりが群がっている一角があり、あかねもまた興味をひかれたのか、その群れの中心を覗き込んでいた。
「あっ」
 繋いでいた手と手の距離が僅かに広がって、頼久が慌ててあかねへと向きをかえる。
「ごめん、ちょっと見ていい?」
「はい。ちょっと、ではなくゆっくりご覧になってください」
 頼久の返事に、ありがとう、と嬉しそうに笑い、あかねは人だかりの中へと体を割りいれてゆく。あかねと指が繋がったままの頼久もその後に続くと、たちまち女性に囲まれた。
 ―― それにしても。
晴着で華やかな人だかりを見ながら、頼久はふと首を捻った。男が一人もいないというのも珍しい。
だが、あかねの背後から店先に並んだ商品を見て、頼久はすぐに納得することになる。そこには金や銀、色石、鼈甲、七宝と、様々な簪がところ狭しに並べられ、良く見ればそのひとつひとつは細かな細工が施されており、冬の弱い日差しを反射しては光を放っていた。
―― 簪か。これは確かに男には用のないものだろう。
 あかねはまさに夢中といった様子で、楽しそうに簪を手にとっては隣のものと見比べたり、小首をかしげては、それをまたもとの場所に戻したりしていた。
 いつもは頼久に気を使ってか、出かける場所も食事も頼久の好みを聞いてはそれを優先しようとする。
だからあかねのこんな姿を頼久はあまり見たことがない。目の前のこの光景を、このまま黙って見つめているだけでも、頼久にとっては十分楽しい時間ではあるが、商品の前で何もせずに突っ立っている訳にもいかず、興味もないままに頼久は目の前の簪に手を伸ばした。
 シャラン……シャラ……

 頼久の手から細い音が聞こえてきた。
 自分の手元で鳴る音に頼久は惹きつけられる。
 華奢でいて、そのくせ強く響いて心の奥に入り込んでくる音。
泣かせているような、なのに鳴らさずにはいられない音。
どこかで聞いたことがある……絶対に知っている音だと思うのだが、それが何なのかは頼久には思い出せなかった。
わからないままに惹かれ、何度も手を揺すっては音を鳴らした。
「あ、頼久さんのそれ、すごい綺麗。お花かなぁ?」
 その音を見つけたあかねが頼久を見上げて呟く。
「ああ、これは、ええと……そうですね」
 よく見ればその簪は藤棚に垂れ下がる花の房をかたどるように、小さな鈴の花がいくつも付いていた。
「いいな、それ。どうしよう……買っちゃおうかなぁ」
 あかねが頼久の顔と手とを交互に見ながら呟く。
買っちゃおうかな、などと疑問系を自分に投げかけるあかねを見て、頼久はこの簪を買うことにした。きっとよほど気に入ったのだろう。あかねがこうやって聞いてくる時はもう決めているのだ。頼久は、黙って財布から幾枚かの札を出すと店の主へと手渡した。
「あ、駄目駄目。頼久さん、私ちゃんと自分で買うから」
 目の前で淡々と進んでゆく光景に慌てたあかねが、さっと頼久の手を遮って自分の財布を出そうとしたが、頼久は既に簪と釣銭を受け取った後であった。
「あ……」
「さあ、どうぞ」
「う、うん」
店先で言い合うのも迷惑をかけてしまいそうなので、あかねは仕方なく財布をまた巾着袋へとしまった。
「行きましょうか」
 頼久に手をひかれ、参道へと戻るとすぐに人の波に流されてゆく。
「あ、私、お金払うからね。今日はちゃんと持ってきてるし」
「お金なんていいのですよ。それよりこれ、すぐに付けますか?」
「でも、私……」
 あかねは自分で気が付かないうちに、簪を欲しがるような態度をとってしまったかもしれないと思い、そんな自分を恥じ、口ごもってしまった。
 ――これじゃあまるで子供だよ。
あかねは下を向き自分の足元へ目を落とした。が、すぐに頼久の乾いた手が頬に触れ視線を引き戻される。
「あかね?どうしました?」
「ねえ頼久さん。さっきの私、ねだってるように見えた?」
「いいえまったく。あかね、どうしてそんな風に思うのです?」
「ならいいんだけど……」
 あかねは歩きながら途切れ途切れに自分の思いを頼久へと伝えてゆく。
 買ってもらうつもりなどなかったこと。
 簪を綺麗だと思い、それをつけてみたかったこと。
 そして自分もまた綺麗だと思われたかったこと……頼久に綺麗だと思われたかったことを。
 時折目を細めながらも頼久は最後まで聞くと、あかねの両肩にそっと手を乗せてゆっくりと自分の方へと向かせた。
「あかね、今日のあなたはとても綺麗ですよ」
「ほんと?」
「ええ、とても。だから私もこの簪をあなたに付けてもらいたかった」
 頼久がそっとあかねの髪に簪をさす。手を離すとシャランと小さな音が鳴った。
「これを見て私も美しいと思いました。そして、どうしてもあなたに贈りたくなったのです」
「どうして?」
「さあ、どうしてでしょう。でも……」
頼久はあかねの髪に、今買ったばかりの簪をすっと挿した。
「ほらとてもよく似合う」
「ほんと?」
「ええ、本当ですとも」
 あかねは頼久と目が合うと、照れたようにキュっと下唇を噛んで、額をちょこんと頼久の胸にくっつけた。
「頼久さん……ありがとう」
 その瞬間、頼久の胸の中で鈴がまたひとつ鳴った。
 あかねが動くたびに、笑うたびに、シャラン、シャランと小さな音を落としてゆく。
薄っすらと上気した、その柔らかな頬に軽く指でくすぐれば恥ずかしそうに、背に回した腕に力をこめればまるで甘い悲鳴のように鈴は鳴り続けた。
「あっ、頼久さん。みんなが見てるよ……」
 人の波を塞き止めるような形で立ち止まった二人を、周囲の人々が怪訝そうな顔で見ていた。そしてその誰もがあかねから鳴る鈴の音にほうっと一瞬耳をすます。その光景を目の当たりにして頼久ははっとした。
 ―― あかねの音だ。
 華奢で、小さくて、そのくせ強い音。嫌でも引き寄せられて手で掴めば聞こえなくなる鈴の音……それは紛れも無くあかねの音だった。
「あかねっ」
「え?」
「その簪ですが……」
「あ、高かったんでしょうこれ?やっぱ半分払おうか?」

 シャラン……

 やはり気付いてないのだ。
自分がどれだけ甘い音を響かせているのか、どれだけの視線を集めているのか。
「いえ、そうではなくて」
「あ、じゃあもしかして頼久さんも飴食べたかったとか?」
「は?」
 予想もしないあかねの言葉に、頼久は驚き思わず大きな声で聞き返したが、よくよく見れば、あかねの頬が幾分まるく膨らんでいる。
「あかねはずっと飴を舐めていたのですか?」
「うん」
「いつの間に……」
 あかねの頬がさっと朱に染まる。何が恥ずかしいのだろう。頼久がくすっと小さな笑い声をあげるとその頬はいっそう濃く色づいていった。
「あかね」
 頼久は完全に立ち止まってあかねの体を自分へと引き寄せ、目の前の小さな唇をそっと奪った。
「え……」
「では、その飴を半分いただきます」
 あかねの濡れた唇に口づける。
 舌の先にまあるい飴が当たった。
唾液を絡ませてゆっくりと舐めると、おもしろいように口の中を転がってゆく。

 シャラ……シャララン……

「やっ、頼久さんっ。人が見てっ……」

 ―― ああ、そうだ。これはあかねの音……誰にも聞かせたくない音。

 ならば聞かせなければよいのだと、頼久は、簪の上に手をやり自分の掌に音を包んだ。
そして、恥ずかしがって震えるあかねの身体も抱きしめて、自分の腕の中に隠す。
より深く唇を重ねて熱い舌を絡めとれば、あかねの身体から力が抜けてゆくのがわかる。頼久は心地よい重みをしっかりと受け止めながら、今はもう鳴らないはずの鈴の音を、耳の奥で聞いていた。
 その間中、飴は舌をつたいながら、互いを行ったりきたりしては二人に甘い味を残していった。


    


「すみません」
 ちゅっと音を立て、心持ち小さくなった飴をあかねの口の中へ落とすと頼久は唇を離した。
そして、落とすといけないからなどと、口からでまかせを言いながら、あかねの髪から簪を外す。もちろん、しっかりと自分の上着のポケットにしまい込んだ。
「さあ、行きましょう」
「あ、うん」
 あかねは訳もわからず、頼久に言われるがままに手をひかれ、おぼつかない足元で歩き出す。
 頼久もまたあかねを守るようにして人の波へと戻ってゆく。

 ――鈴の音。
 あかねが髪を振れば、音が鳴る。
あかねが動いたぶんだけの音が。
体が震えれば震えた音が。
 誰にも聞かせたくないあかねの音。
 この音を聞くのも……作るのも……自分だけ。

―― 他の誰にも聞かせてなるものか。

 「頼久さん?」
 
 自分を見上げるあかねの肩を抱き寄せる。
 頼久の耳の奥で、シャランと小さな音がまたひとつ鳴った。









[了 / 鈴の音]