| LOVE BIRDS 自分だけが想っていた時は不安を感じることなんてなかった。 己の身を投げ出してでもあなたを守り抜きたい その思いは今も変わらずに、ちゃんと胸の奥にあるというのに ◆ 頼久があかねと共に現代で暮らすようになってから、もうずいぶんと時間が流れていた。 この世界で暮らすようになってしばらくの間、頼久は出会った頃の癖が未だに抜けないためか、それとも恥ずかしさゆえか、「神子殿」と、あかねを呼んでいた。そんな頼久に、あかねも最初はその都度怒ったものだ。 また、あかねはあかねで、頼久を早くこの世界に溶け込めるようにしてやりたいと思っていたのだろう、当時の彼の行動ひとつひとつに気を揉むこともあった。 だが、あかねも今では、頼久の行動にうるさく口を挟んでは彼の顔を曇らせることなどまるでなかったし、最近では呼び方すら、どうでもいいと思えるようになっていた。 それは、人間の持つ、環境に準じて生活する能力を、頼久とて例外ではなく持ち合わせていたのだろう。だからこそ、あかねに言われるまでもなく、次第に現代の生活に溶け込んでいったからでもあるし、逆に、頼久が何をどうしようと変わらないもの、変えられないもの、頼久の心と身体に深く根付いたそれらを、否定することなく受け止められるほどに、あかねもまた大人へと成長した証でもある。 それでも頼久もこの数年で大きく変わったことも確かで、それは、あかねや、友人達の協力があったとは言え自身の努力がなければ、今までこの世界で暮らしてゆくことはできなかっただろう。 どうしていいのか見当も付かなくて、目の前の物を見つめたまま固まってしまうことも度々。無意識のうちに身体が拒否反応を示して、切り捨てたいとさえ思うことも。 傍から見れば何ということもない些細なことを、一つ一つ乗り越えてここまできた。 平穏な暮らし。 「神子殿」とつぶやけば「どうしたの?頼久さん?」と微笑みを返してくれる愛しい人。 無口で何かあればすぐに黙り込んでしまう頼久と、思ったことは口に出さずにはいられないあかね。 愛さえあれば何もかも上手くゆくというのは物語の中だけのことで、ふとした行き違いが、予想もできないほどの大喧嘩へと発展してゆくことも数え切れない。それでも、照れくさそうに謝ってくるあかねを、言葉にできないぶんだけの思いを込めた笑顔でそっと抱きしめれば、それは時をも越える速さで互いの魂が溶け合い、その温かさに身体は打ち震えた。 だが時折、そんな暮らしの中で頼久は眠れぬ夜を過ごす。 「ん…」 頼久がふと目を覚ますと、ベッドに入った時には点いていたリビングの明かりも消え辺りは闇に覆われていた。 すぐ近くにあかねの体温を感じる。 大好きなアーティストのライブ番組を「朝まで見るんだ」と頑張っていたあかねの言葉を思い出し、頼久が枕元の小さな明かりを点けて時計を見ると、朝というよりは夜に近い時間であることに苦笑する。 隣で規則的な寝息を立てているあかねの、額にかかるまっすぐな髪を、そっと指で梳く。 「おやすみなさい、神子殿」 頼久は小さな声でそう言うと、再び目を閉じた。だがその瞳はまたすぐに開かれる。 眠れないのではない。眠りたくないのでもない。ただ眠ってしまうことに訳もなく不安を感じていた。 暗闇の中で頼久は天井に目を向ける。 気がつけばこれまでのこと、あかねとのことを考えていた。それはきっと分厚いノートにすら書ききれないほどの、頼久の全てを変えていった出来事。 闇に目が慣れたのか、ぼんやりとではあるが頼久には辺りの様子が見えてきた。枕元の時計の横に並べてある写真立てには、ふざけてキスしようとするあかねと、いつもどおり眉根に皺をよせ目の前にあるだろうカメラをにらみ付ける頼久が写っていた。その写真を見た瞬間、頼久の胸に掻き乱されるような思いが溢れ出した。 神子殿、あなたを失いたくない。 自分のすぐ隣ではあいかわらず気持ちよさそうに寝息を立てるあかねがいるのだが、その姿を確認してもなお、頼久の不安は消えなかった。 自分ですら理解できない感情を持った今、頼久は自分を律することなどできなかった。 神子殿、今あなたはここにいてくれる。 でも明日は?明後日は?永遠にあなたと共にいたいのに、時間は容赦なく流れてしまう。 ただ自分だけがあなたを慕っていた時は、こんな風にあなたを見て不安になることなどなかったのに。 自分は欲張りになってしまったのだろうか。 だがいくら欲張っても時の流れに抗うことはできない。 男子たるもの涙をみせてはならない。 幼少の頃から言い聞かされていたこの言葉も、今の頼久には何の意味も持たなかった。いくら歯を食いしばって体を強張らせて耐えようとしても、それ以上の強さで涙は溢れる。 すぐ隣には愛しい人が眠っている。だがもっと近くに、もっともっとあかねを感じたい。頼久は思わずあかねの身体を抱き寄せた。 急に訪れた圧迫感にあかねが目を覚ますと、半分寝ぼけながらもただならぬ気配を感じた。 「ん?どうしたの……」 頼久の腕の中であかねが心配そうな声を出す。 「…っ、いえっ、何でも……」 「頼久さん……泣いてるの?」 あかねの言葉に頼久は慌てて涙をぬぐった。 「いえ、神子殿。私は泣いてなどおりません、ですからご心配なさらずにお休みください」 あかねは手を伸ばして、頼久の頬に触れた。ほんのりと温かい感触が指に伝わる。 「嘘。泣いてるじゃない。本当にどうしたの?」 頼久の涙など、あかねはこれまで一度たりとも見たことがなかった。 「頼久さん?」 そう言ったきり、次の言葉が見つからない。 何か言ってあげたい。けれども何を言っていいのかわからない。 仕方なく黙ったままの頼久の腕に抱かれながら、あかねは頼久が話してくれるのを待った。 「神子殿」 ようやっと頼久が口を開く。 「今日、つがいでしか生きられない鳥の物語を読みました」 突然に鳥の話を持ち出されたあかねは理解に苦しんだが、そのまま黙って聞くことにした。 「その鳥は…どちらか片方が死ぬと、もう片方も死んでしまうそうです」 「うん・・・」 「私は……神子殿とこの鳥のように生きたいと思いました」 「それって、私が死んだら頼久さんも死ぬってこと?」 「ええ、そうです。あなたがいなければ」 頼久はあかねの身体にまわす腕にぎゅっと力をこめた。 「あ、あなたを失いたくないのです、神子殿っ」 あかねは小さなため息をつく。 「頼久さん…どうして急にそんなこと」 「自分でもよくわからないのです。ただ急に怖くなった。あなたはここにいるというのに、私の隣にいつもいてくれるのに。だけど明日は?明後日は?そしていつかは永遠の別れを迎えなくてならないと思ったら急に怖くなったのです」 「うん」 「一分も一秒でさえも無駄にはできないと。あなたと過ごす時間を無駄にはできない」 あかねが頼久の背中に腕をまわす。 そしてその背中の真ん中を、トン、トンと軽く叩くと、頼久は少し驚いたような面持ちであかねを見つめた。 「頼久さん、少しは安心した?」 頼久が黙ったままなので、あかねはもう一度、トン、トンと叩いた。 するとあかねの言葉通り頼久の気持ちは不思議と落ち着きを取り戻して、ふーっと一つ大きく息を吐いた。 「ねえ、頼久さん」 「はい」 「私達は鳥にはなれないよ。頼久さんの言いたいことは違うってわかるけど……やっぱりなれない。たとえ今、背中に羽が生えていようと私達は空を飛ぶことなんてできないんだよ」 「羽が生えていても、ですか?」 「うん。人間はみな臆病なんだ。たとえ羽があると知っていても飛び立つことはできない。頼久さんだけじゃない、誰もが愛する人を失うことを恐れてる。私だってそう。だから、だから愛するんだよ」 「だから愛する・・・…」 「そう・・・愛されたくて。いつかは頼久さんと離れる日が来るて、きっとわかってるから、だから、あなたを愛した記憶を永遠に持ち続けたくて、次の誰かだなんて思いもしないほど愛してしまうんだよ、そして・・・」 「そして?」 あかねが少し恥ずかしそうに笑った。 「うん、そしてね、愛されたいから不安になるんだ、きっとね」 「神子殿、あなたも不安になることがあるのですか?」 「うん・・・でも頼久さんがいるから大丈夫」 トン、トンと頼久の背中を小さな手が叩く。 「神子殿」 「頼久さん、こうすることも無駄な時間?」 「いえ、決してそんなことは」 「じゃあ、また不安になったら教えて、トン、トンってしてあげるから」 あかねは微笑むと、頼久の腕に抱かれたまま目を閉じた。 自分にしがみつくようにして眠る小さなあかね。その顔を見つめる頼久の胸には温かいものがこみあげて先ほどとはまるで違った涙が流れそうになるのを堪える。 あかねと共に生きる時間に無駄な時など一瞬すらないと、今なら思えるような気がしていた。 あかねは言ってくれた……自分と同じように不安を感じ、そしてまたそれを消すことができるのは他ならぬ自分なのだと。そう言ってくれる愛しい人を困らせてしまったことを頼久は少し後悔していた。 あかねがいれば。二人でいれば……たとえ眠れぬ夜も、小さな夜明けでも、そしていつの間にか眠ってしまったとしても、その全てが、過ぎ行く時間でさえも愛しく感じられることに、頼久は安心して瞳を閉じた。 ねえ、頼久さん。 私も本当はすごく不安なんだ。たまにすごく悲しくなる。 今、あなたと過ごせる喜びを感じながら、どこかでサヨナラの不安に負けそうになるんだ。 だから愛して・・・ずっとずっと愛し合おう。 それでもまだ不安だったら、その時は二人で歩こうよ。 私達は飛ぶことはできないけど、手を繋いで歩くことができるんだ。 もしもあなたが永遠の愛を見つけたいというのなら、世界の果てまでも一緒に歩こう。 もしかしたら、それは、もうここにあるのかもしれないね。 繋いだ手を離した瞬間に、そこから溢れ出てくるのかもしれない。 でも、私達はそれを見ることはできないね。 だって、私はあなたの手を、決して離さないから。 そして、きっと、あなたもそうなんだね。 |
――終 |