| いつかの約束 あかねが足を止めて空を見上げる。 自分の知っている空とはまるで違う。 隣で同じように足を止め自分を見守る頼久。 その顔に微笑みを返すと、もう一度、空を見上げ、そして再び歩き出した。 「降りてもいいですか?」 そう言いながら、あかねが視線を向けた先には、いつもは橋の上から見るだけだった川が、その豊かな水に、柔らかな日差しを反射させキラキラと輝きながら流れていた。 「ええ、もちろんです神子殿。ですが、どうかお気をつけて」 「頼久さんも一緒に来てくれるでしょう?だったら大丈夫」 頼久はあかねの言葉には答えず、ただ頷くと、あかねの手を取り、坂を下り始める。 自分の手の中に収まる小さな手。少しでも力を入れれば折れてしまいそうな細い指に、頼久はあらためて、これまでの少女の過酷な日々を思い起こした。 見知らぬ人間、何の関係もないこの京のために闘う日々。その両肩には常に期待が重くのしかかっていただろう。 引き下がることなど決して許されない状況の中、あかねが声を殺して泣く夜を頼久は幾度となく見てきた。警護など放り出し、その涙ごと抱きしめたい衝動に駆られたことも、数え切れない。 だが、頼久はその度に必死でその思いを押し殺した。 ここで自分が抱きしめてしまえば、一度でもその頬に触れてしまえば、全ては一瞬にして吹き飛んでしまう。夜毎、悔し涙を流すほどに自分を酷使しているあかねの全てが、何の意味すら持たなくなってしまう。 自分はただ、あかねの支えとなり、そして守り抜く。 それでいい。それだけでいい。 「これで、おしまいですね」 最後の闘いを終えたあかねが、いつになく神妙な顔で別れを告げてきた時も、頼久は、驚くこともなく、できるかぎりの微笑みを顔に浮かべ、「はい、全ては終わりました」と、一度だけゆっくりと頷いた。 そんな頼久に、あかねは満面の笑みを返す。そして、最後となるこの一日を、特別なことなどせずに毎日のように歩いた道を、また二人で歩きたいとあかねは言った。 ただ、いつものように歩きたいと。 頼久に手を引かれ、河原に下りたあかねは、足元から手頃な石を掴むと、川へと放り投げてゆく。 そのまま沈んでしまう石もあれば、浮かび上がり川の流れに乗ってゆく石もあった。だが、いくら投げても、そのまま浮かび続ける石は一つもなく、そのどれもがやがては消えていった。 「楽しい時間って、あっと言う間ですね、頼久さん」 石を投げる手を止めずにあかねが頼久に声をかける。 「楽しいですか?神子殿」 「うん。何だかとっても楽しいです」 あかねは、手に持った石を川には投げ込まずに、その場に落とすと、後ろに立っている頼久の元へ歩み寄って 「とても楽しいよ、頼久さん」 頼久の両腕にしがみつきながら、楽しいと繰り返した。 「神子殿・・・・」 あかねの身体の分だけ頼久の胸は痛む。 その痛みを甘んじて受けるように頼久はあかねの背に腕を回すと、あかねの身体をしっかりと包み込み、自分の胸へと更に強く押し付ける形で、小さな主を抱きしめた。 「頼久さん・・・大好きでした。今も大好きです」 「神子殿・・・」 「10年後も、20年後もずっとずっと大好きです」 「ええ、私も・・・あなたと同じ気持ちでいます。この先もずっと・・・」 あかねの瞳が潤んでゆく。頼久は自分もきっと同じだと思った。 「・・・・離れたくない。本当は頼久さんと離れたくないよ」 「神子殿、それでも・・・・」 それでもあなたは、言うのですね、さよなら、と。 「うん」 生まれた瞬間に約束されていた出会い、そして、生まれる前から交わされていた別れの約束。 「さよなら、頼久さん」 約束通りに別れの言葉を告げたあかねの、頬に落ちる温かな雫に頼久はそっと唇を寄せた。 いつかの約束を胸に・・・神泉苑の池のほとりで頼久は一人ぼんやりと月を見上げていた。 神子殿、いつか誰かがあなたを月の姫のようだと言っていましたね。 それならば、私は星になってあなたの傍に そして、あなたを守る。 たとえ幾度回り続けても、永遠に月に辿り着けないとしても。 やがて、小さな光になり、点になり、いつしか消え去ると知っていても。 それでも、いつの日も・・・・あなたと共にありたいと願いながら。 |
―― 終 |
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