あなたの隣

愛しています。
そう言ったのは、むしろ……愛されたいと願ったから。
一生に一度だけ、あなただけに愛されたいと。

そして、あなたは私のもとに残ってくれた








「あかね殿・・・」

 彼女が眠っているとわかっていてもなお、以前のように声をかけてしまう自分を苦笑する。
 
 神子殿と言わないだけましだろうか。

 あかね、それでもあなたは私の、そして私はあなたのものだ。


 頼久はあかねを起こさないように、注意深く近づいてゆき、今は閉じられている瞳のその目尻に残る涙の跡に気付く。
軽く唇を噛みながら、まだ乾ききらないそれを無骨な指でそっとぬぐった。


 京に残ることになったあかねの、こうした涙を見るのはこれが初めてではない。
まだ幼いともいえる彼女が、挨拶ひとつできずに離れてしまった家族や、自分の育った世界を思い出して涙ぐんでしまうこと。それは、当然のことだと頼久も頭ではわかっているつもり、いや、わかってあげなければならないと自分に強いている。
 それでも自分の知らない世界を思って涙を流す彼女に、時として苛立ちを隠せないのも事実だった。

 まして今夜のように自分のいない時に、一人で流した涙の跡を目にしてしまうと。しかも帰宅した自分に気付かずに眠り込んでしまっているあかねの姿を見れば、何故かひどく裏切られたような気分にすらなる。
 頼久は、それまで触れていた彼女の柔らかな頬から指を離すと、そこに自分の顔を近づけて、やみくもにあかねの唇を奪った。


 あかねのうなじに手をまわし、自分のほうへと顔を向かせる。頼久は自分の熱い舌であかねの口をこじあけ奥のほうに隠れている小さな舌を絡め取った。

「っ…んっ……」

 いきなり口を塞がれたあかねが、空気を求めるように顔を振りながら口を開く。
それでも頭はまだぼんやりとしていて、その瞳は頼久をとらえてはいない。
 自分を見ないあかねに、なおも頼久は強く舌を吸い上げ、軽く唇を噛む。
あまりの息苦しさに今の状況を把握したあかねは驚き、それからむずがるように頭を左右に振り、自分を覆っている頼久を両腕で思い切り突き放した。

「あかね殿……」

 あかねは布団の真ん中に座ったまま、自分を見下ろすように呆然と立ち尽くす頼久を見つめていた。

「頼久さん…どうしたの?こんなの…頼久さんらしくない」


 らしくない、か。
 確かにそうかもしれない。
 苛立ちのあまりに無理やりになど自分らしくもない。
 こんなことがしたい訳ではないのに、決して。

 どうしてだろう、人は目に見えるものを欲しがる。
 いずれ自分は消えていくのに。



「……愛しています、あかね」
「えッ」
「あっ、いえっ……」

 自分の口から思わず飛び出した言葉に、一番驚いたのは頼久自身だった。
 けれど、それはまぎれもない真の想い。小さな声ではあったが、不意に口をついて出た頼久の言葉に、再びあかねの瞳に涙が滲む。その顔を自分の胸へと抱き寄せると、頼久は大きな手であかねの身体を包み込んだ。
 頼久の胸にあかねの熱が広がる。それは肌から、やがて心の奥にまでも。


 愛している、心から……


 あの日、あなたを元の世界に帰したくなくて呟いた言葉と同じだけの言葉。
 
 だが込められた想いは全く別のもので、あの時はきっと愛してはいなかったのだと思う……ただあなたに愛されたかっただけなのだと。

 だけど、今は違う。
 こうしてあなたを感じ、一人ではないと思える。一人にしてはならないと。

 あかねを抱く腕を緩ませようと、頼久が体をずらした瞬間、あかねの声が響いた。

「離さないでっ。頼久さん…離さないで、こうしていて、ずっと」

 自分の胸にぎゅっと抱きつくあかねの身体から感じる震えに、頼久は愕然とする。


 あかね…?
 もしかしてあなたも、あなたも同じように思っていたのですか?
 あなたもまた一人だと?
 私はあなたに悲しい思いをさせていたのですか?
 そう……なのですね。


「あかね殿、どうかもう一人で泣かないでください」


 ならば、ならばもう二度とあなたにそんな思いはさせはしない。

「愛しています、あかね」

 あかねが顔をあげて、まだ涙の残る瞳で頼久を見上げる。

 今度はあかねに伝わるように、しっかりと告げる。

 あかねの顔にやっと微笑みが戻った。

 頼久は腕の中で微笑むあかねから体を離すと、ゆっくりと布団に寝かせ、自分もそのすぐ隣に寄り添い、背中から腕を回して再び抱き寄せた。
 互いの触れ合う全てから鼓動を感じ、暖かで穏やかな気持ちに包まれ、まるで子供のように、ただ深い眠りへと誘われていった。



 人は目に見えるものを欲しがる。
 本当は目に見えないものこそ欲していることを知りつつも。
 そして愛する人の隣で生きることが、その両方を満たすことだと知る。


 あかね、あなたを思う気持ちに終わりはなく、瞬間にして永遠で、どんな小さな朝でも、あなたと一緒に迎えたい。
 たとえ、この世の終わりでさえも、あなたの隣で目覚めたいのです。
 それが許されるのならば、永遠にあなたを守り、そしてあなたを愛そう。


 それが例え、愚かな愛であったとしても。永遠に。





――終