「キャァァァーーーーーーーーーーー!!!」

 頼久の頭上から刀が振り下ろされた瞬間、邸の中にあかねの悲鳴が響き渡った。

「神子殿っ」

 頼久の表情が瞬時に変わり、その口は愛しい主の名を叫ぶが、それ以上は何も言えないまま……自らが犯した過ちに……最愛の人から流れ出る鮮血に身体が強張っていくのを感じた。

 一方、自分の身を斬られることを覚悟していた友雅は唖然として頼久を見つめる。

「頼久……お前…」

 友雅が頼久に声を掛ける、その間にも、あかねの首から胸元にかけて鮮やかな血が滲み出していた。

「神子殿しっかりするんだ。傷は浅い、気を確かに持って」

 頼久はただ呆然とその場に立ち尽くしていた。

 完全に自分を見失っており、友雅があかねにかけより身体を抱き寄せるその間も、ただ目の前の光景を見つめていることしかできなかった。



 この日から全てが変わった。

 頼久も、友雅も、そしてあかねも。








「頼久、今日は一日、ここにいてよ」

 あれ以来、あかねは頼久を呼び捨てにする。




 あの日の出来事は友雅が邸内の者に他言無用ときつく言いつけたが、それは守られることはなかった。
八葉の面々との関係がぎこちないものになっただけにとどまらず、京の町にもすぐに知れ渡ることになる。

 ―――噂とはそんなものだ、と頼久は思う。

 頼久によって作られたあかねの傷は非情に浅く、最後の決戦までには何とか体力も回復し、無事に封印することにも成功した。が、しかし彼女の体力は限界に近づいていた。
 そんなあかねに、誰もが心配を隠せなかった。
 もしも、龍神を呼ぶことが叶わないとなれば・・・それは、もとの世界へ戻れないということを意味していた。あかねだけでなく、共に戦った異世界の二人の友にとってもだ。
 それでもあかねは、持ちうる限りの力で龍神を呼ぶ。天真と詩紋の二人を元の世界に送り、自分もと、帰ろうとした瞬間に、あかねは踵をかえした。
 誰もがその行動に驚愕とする。天真と詩紋が喉を切るような声であかねの名を叫んでいたが、あかねは一つ小さく笑うと、頼久の手をとった。

 こうしてあかねは、元の世界に戻ることなく京に残ることとなった。


 友雅を斬ろうとし、誤って主に刃を向け―――その神聖な身体に傷を付けた男となった頼久。約束されていたはずの武士団の棟梁の地位を失い、今はただ雇われるままに刀を使うのみ。

 けれど、彼の最愛の主、あかねは、そんな頼久の手をとった。頼久を選んだ。

 その日から頼久は、これまで以上の忠誠をあかねに誓い、ただ、あかねだけに仕える従僕となっていた。








「頼久、口でして」

 頼久はあかねの脚の中心に顔を寄せると、言われるままに唇を寄せ、舌を突き出す。

「あんっ…もっと……」
「神子殿」

 頼久の熱い舌があかねの秘所を蠢く。
襞を一枚一枚丁寧に舐めあげ、隠れた秘宝を吸いあげしたたり落ちる蜜を音をたてて飲み込んでゆく。

「んっ…頼久っ」

 あかねが頼久の頭をつかみ、自分に押し付ける。
頼久は荒い息をあげながら、あかねの求めるままに指を使い、その脚を開かせると、奥へ奥へと舌を挿し入れた。

「はぁぁっ…頼久、頼久をちょうだい……」

 頼久はあかねをゆっくりと褥に横たわらせると、帯をほどきその身体を眺めた。
その視線を感じたあかねが瞬時に顔を紅くして、自分の胸に残っている皮膚の引き攣った部分……醜い傷痕を手で隠し、頼久から身を引いた。

「やだっ、何見てんの。いつまでも見てないでよ」
「どうか手をどけてください、神子殿……あなたはとても美しい」

 その言葉にあかねは急に起き上がり、頼久に詰め寄った。

「嘘ばかり言って。綺麗なわけないじゃない。こんな傷……こんな傷。それに頼久だって、この傷があるからここにいてくれるんでしょ?私に対する償いなんでしょ。そんなもん……そんなものいらないわよっ!!」
「神子殿、決してそんなことは……私はっ、ただあなたを」
「もういいから帰って」

 頼久があかねを見つめる。

「……」
「何つっ立ってんのよ。帰れって言ってるの、わかんないの?……帰ってよ、もうっ!!」

 あかねはそこまで言うと、ぺたりとその場に座り込んだ。
 頼久は力なく立ち上がると、あかねの身体にそっと着物をかけ、自分の身も整えると音もなく部屋を出た。








 行くあてもなく京の町を歩く。
 すれ違う人全てが自分を見ているような気になって自然と足が早まる。



「おい、頼久」

 懐かしい声に振り返ると、そこには友雅が以前と変わらず冷たいとさえ感じさせる笑みを浮かべていた。

「友雅…殿……」
「そんなにかしこまるな、少し付き合ってくれないかい?」

 頼久は頷くと、友雅の後を歩き出した。

「どこに向かわれるのですか?」

 目的地もわからずただ歩いているだけの頼久はきり出した。

「いや、特にどこという場所はないよ」
「それでは何故、私を?」
「お前に聞きたいことがあってね、だが、はたして答えてくれるだろうか…」

 本人を目の前にして、まるで遠くにいる人間に問い掛けるかのように話す友雅に苛立つ。

「何でもお聞きになればいい。隠すことなど何もございませんゆえ」

 友雅の瞳が一瞬光った。

「では、聞かせてもらおうか。頼久、お前あの時、最初から神子殿を狙ったんだろう?」
「なっ、何を……」
「違わないだろう?お前ほどの剣の腕前を持った人間が相手を違えるなんてことありえない。それにあの浅すぎる傷は……お前だからこそ出来る技じゃないのか?」
「友雅殿、それでは私がわざと神子殿を傷付けたとでも仰りたいのですか?」

 それまで遠くを見つめていた友雅の瞳がいきなり頼久を射抜いた。

「違うと言えるのか、頼久っ」

 友雅の剣幕に頼久は言葉を失い、ただ見つめ返しているだけだった。
 友雅は睨みつける視線を外すと、ふぅーっと、一つ深いため息をつく。

「付き合わせて悪かった。もう終わったことだ。私は神子殿が幸せならばそれでいい」

 頼久は一礼すると踵を返して元来た道を歩いてゆく、その後姿を友雅はいつまでも見つめていた。

 頼久……

「私には出来なかったことをやったまでの話か。お前はただ愛しただけなんだろう?そうなのだろう、なあ頼久」








 その夜遅く自分の邸に戻った頼久を待っていたのはあかねだった。

「神子殿っ、どうしてこちらへ、それにこんなに遅い時間に」

 あかねは無言で頼久を見つめて涙を流していた。

「涙などお流しになられて、どうなさったのですか?あ、と、とにかくお上がりください」

 頼久は抱きかかえるようにして、あかねを屋敷へと連れて入る。
部屋へと招きいれ自分で座を設えると、已然として黙ったままのあかねを座らせた。

「何があったのですか、神子殿。教えてください。何が?」

 一言も喋ろうとせず、ただ涙を流すばかりのあかねに、何度も同じ質問を繰り返すうちに、あかねがようやっと口を開いた。

「頼久……いえ、頼久さん、もうやめよう。もう疲れた。」
「なっ、何を仰っているのですか、神子殿っ」

 頼久さん、と今さらながら他人行儀な呼び方に、頼久の胸は少なからず痛む。

「私、この傷であなたを縛り付けてた。責任を取らせようって。全部あなたのせいなんだって…でも、なんかもういいよ。元はと言えば私が子供過ぎたんだから…私がいけなかったんだから…だから…」
「待ってください」
「もう、いいよ……。うん、もう、全部元に戻そうよ」

 あかねが力なく微笑む。

「待ってください神子殿っ、傷など関係ない。私はただ心から、あなたを……あなただけをお慕いしています。以前からずっと。だからどうか永久に、あなたを、この頼久だけにあなたを守らせていただきたいのです」

 頼久は、おもむろにあかねの肩に手をかけ、自分の胸にその小さな身体を抱きしめた。
 頼久のするがままに、あかねはその体を預ける。
 意志を持たない、細い体が頼りなく、悲しかった。

「頼久さん……」
「神子殿っ、どうかこれまで通りに、頼久とお呼びください」
「でも」

 あかねが全てを諦めたように、ふっと笑う。

「どうか……どうか、呼び捨てに」

 頼久はあかねの傷痕に唇を寄せて、愛しそうに何度も舌でなぞる。

「頼久さん、私もあなたが好きだった、あなたじゃなきゃだめだと思ってた」

 自分への気持ちを過去形で語るあかね。
その言葉の続きを聞きたくないとばかりに、頼久はあかねの唇を自分の唇で塞いだ。

「神子殿。悪いのは全て私なのです。もう二度と絶対にあなたを傷つけるようなことはいたしません。誰にも傷つけさせません。決して…あなたを離しませんから、だから…お傍にいさせてください」

 あかねがそれを求めていないことは十分わかっていた。
 遅すぎたのだ。全てはあの時に終わっていた……。

 そう、あの日……
 自分を慕う気持ちを打ち明けてくれた貴女を、自分の自信の無さ故に断ち切ったあの日に。



 頼久にされるがままの、力のないあかねの様子は頼久の胸を痛めたが、それでもよかった。
 今ここに、あかねを抱きしめていることだけが頼久の全てだった。

 二人は互いに唇を奪いあうと、そのまま蕩けるように身体を横たえてゆく。

「愛しています」

 頼久の言葉はあかねに届いたのだろうか……
 その瞳に頼久の表情が映ることなく、あかねの目蓋が閉じられた。


「愛しています、神子殿」


 この手以外にはあなたを守らせたくない。
 この手以外にはあなたに触れさせない。


 頼久はあかねの傷痕に幾度も幾度も飽きることなく、くちづけていた。







 愛しています、神子殿。
 だからあなたに傷を付けました。
 あなたの身体に私の痕が残る限り、あなたは私を忘れることなどないと。
 たとえあなたに愛されなくとも、その傷痕が残るならば、もう私の頭の中だけにあなたを繋ぎとめずとも、あなたの中にもきっと……

 神子殿……愛していました。
 あなたが思う以上にずっと。



 一度触れてしまったら、もう二度と手放せないと。

 それでも、あなたが誰かを愛したら、
 あなたが私の腕からから離れていくというなら、私は、いっそ……





 その時、頼久のきつく閉じられた瞼の裏が真っ赤に染まった。






[了 / リスク]