一番近い楽園



 柔らかな緑の上に寝そべっていると、どこからか蝶が舞い込んで季節を知らせる。
 新緑の風にふかれながら、顔に浴びる木漏れ日がくすぐったい。
 こうしていると、京での出来事が夢のように思えてくる。
 だけど、小さな寝息を立てて寄り添うあなたが、決して夢ではなかったと教えてくれる。

 争いのない穏やかな日常。穏やかな二人。
 あれから一年。
 私はてっきり、あなたも同じ気持ちでいるとばかり思っていた……

 
 ちょうど一年前・・・・八葉の皆と共に過ごした京を離れる日がせまっていた頃。
 私は初めて心から愛した頼久さんと別れるが嫌で、それなのに京に残る決心もできなくて、頼久さんの胸で何度も何度も泣いた。

 「あなたの世界へ連れて行って下さい、そしてあなたを永久に守らせてくれませんか」

 頼久さんが、こう言ってくれた時、私は嬉しかった。本当に嬉しくて、泣きながら彼にしがみついた。
 戸惑いはほんの一瞬で、それよりも、愛する人と一緒にいられることの喜びにただ満足していた。あなたの気持ちを考える余裕は私には無くて……そう、私は本当に子供でしかなかった。


 現代に帰ってきて、私はすぐに元の生活に戻って毎日を楽しみはじめたけど、だけど、頼久さんは、そうじゃなかったんだね。戸籍も、仕事も、現代での知識も・・・生活には困らないよう龍神様が用意してくれていたから、私は安心していたんだ。
京にいた頃のように、いや、それ以上に、もっともっと愛し合えるって。
 でも、あなたに用意された物、それはあなたに関わることのほんの一部だけだったんだね。

「神子殿のために・・・」

 これは、あなたの口癖だった言葉。
 まさか、この世界に帰ってきてからも聞くことになるなんて思ってもみなかったよ。
ううん、京にいた時よりも頻繁に、あなたの口から出るようになるなんて、まさか・・・ね。
 私の目には、あなたは少しずつだけど、この世界にも慣れてきているように見えたの。仕事も順調そうだし、友達もできて、あなたなりに楽しんでいるように見えた。
 だけど、頼久さん・・・あなたはいつも不安だったんだね。そうなんでしょ?

 全てを捨てて、私を選んでくれたあなた。
 何も知らない、誰も知る人のいない世界に来ることが、どんなに人を不安にさせるか、どれほどの孤独に苛まれるかなんて、私が一番知っていたことなのに。

 いつの頃からか、ため息をつくことが多くなったあなたに、私は、ただ苛立つだけで、そのため息の理由を考えるなんてことはしなかった。
 そして、そんなあなたに追い討ちをかけていったのは、この私。

 「神子殿、神子殿って呼ばないでよ、私はもう龍神の神子じゃない!」
 「いつも、私のことだけ考えてなくていい!!」

 あなたがため息をつくたびに私はこんな酷い言葉を投げつけてた。
 そして、何度目かの言い争いの時、とうとう私は言ってしまった。

 「そんなに嫌なら、自分の世界に帰ればいいじゃないの」

 その瞬間、頼久さんの顔が歪んで……頼久さんの瞳から色が消えて、同時に私もモノクロームの世界に包まれた。
 そして、やっと気がついたんだ、私にも心のかけらがあるって。
 心のかけらを失くせば、この世界は色を失うってことに。
 そして、それは、私の心のかけらは、あなた、頼久さんだってことに。

 「ごめんなさい」

 それしか言えなかった。
 もっと言わなきゃいけないことがあるはずなのに、きちんと謝らなくちゃいけないのに、あなたを失うかもしれないと思うと、怖くて、悲しくて。今まで、近すぎて見えなかった楽園が音を立てて崩れていくようで。
 ただ私は、ごめんなさいって、それだけを何度も繰り返してた。
 こんな時でも、私は本当に子供で、だから子供が親に助けを求めるように、私も頼久さんを求めて、ただごめんねって泣きじゃくった。

 頼久さんは立ち上がると、そんな私を笑いもせずに軽く抱きしめた。
 お互いの体温が伝わるのがわかる。
 視線の先にあなたの笑顔があるという、言葉にはできない安堵。あなたはいつも、それを私にくれる。

 あなたも……それを求めていたんだね、頼久さん。

 私、忘れてたよ。あの時、私にはあなたしかいなかったように、あなたがこの世界で心を開けるのは私しかいないってことを。

 頼久さん、わかってあげられなくてごめんね。
 人を愛するって、ただ楽しいだけじゃなくて、その人を失うかもしれない恐怖をも受け入れることだって、私、知らなかった。
 それでも、私、あなたを愛してる。
 だから、もっと触れたい、もっと触れられたい。
 あなたの温度を感じていたいの。
 あなたを失うのはとても怖いから。

 そして同じように想ってくれるあなたに、私にできることの全てをあげたい。
 だから抱き合おう。

 これからは私があなたの楽園になる。
 時空を越えた楽園になるから。





―― 終