時の流れ




 泰明の指があかねの頬にそっと触れ、またすぐに離れる。

「神子……」

 そう言ったきり、何も言わない彼をあかねは見つめていた。

「み、神子……?」

 泰明の顔があかねの瞳の中で歪む。もうおぼろげにしか見えない。

「神子、泣くな」

 ふいに顔が近づき、頬に長い睫が触れたかと思うと、熱い唇が寄せられ、涙をぬぐっていた。

「泰明さん……帰るなって言ってください……」

 幾度も声にしようとして、幾度も飲み込んできた言葉が、あかねの口から発せられ、泰明の表情が変わる。
 そして今、泰明は再び飲み込んだ。

「泰明さん、お願い、帰るなと、問題ないと言ってください」
「……言えぬ」


 ――帰るなと、自分と共に生きてくれと、どれだけ言いたいか。

 お前を生涯離さぬと、どれほど言いたいか。だが、言えぬ。
 まるで子供のような純粋な瞳を持つお前を、この世界に残すことが正しいのか、わからない。

 さあ、笑え、神子。この泰明が迷っているのだ。
 お前は……お前には嘘を付いてもすぐに気付くだろう。
 ならば、何と言えばよい?お前に何と言ってやればよいのだ?


「神子……時は流れる。私とお前は違いすぎる。ここに残っても……。やはり帰ったほうが良いだろう」

 本当の気持ちを言えないままの泰明をあかねは見つめた。

「そうよ。時は流れるわ。

 私の心だって変わると思う。時の流れにそって」

 泰明が一瞬眉をひそめ、またすぐに微笑みを作る。しかしその顔には堪えきれない悲しみが滲み出ていた。

「そうだ。それが真だ。変わってゆくのはこの世の常・・・・」

 泰明の言葉をあかねが遮った。

「違う。泰明さんは全然わかってない。私の心は、どんどん好きになっていくの。泰明さんを好きに。そうやって遠い世界で一人変わっていくのよっ!!」
「神子……それでも……」
「それでも、何?私たちは違いすぎるって言うの?」
「……そうだ」



 あかねは急に泰明の手を取り、歩き出す。
そして道の脇に転がっている小石をひとつ拾いあげると泰明に渡した。

「この石を割ってみてよ」
「何を言い出すのだ?」
「いいから割ってみてよ。思い切り地面に投げつければ割れるかもしれないじゃない?」

 泰明は訝しそうにしながらも、あかねの言葉通り、その小石を力一杯投げつけた。しかし、石は幾度か地面を跳ね、コロコロと転がっていくだけだった。

「泰明さん、割れなかったね」
「何が言いたい?」
「あんな小さな石でも割れないんだよ。
あの石だって最初からあんなに強くなかったんだ。どんな大きな石だって、最初は砂と水なんだよ。まったく違う2つのものがこんなに強い力を持つことだってできるんだよ、わかる?泰明さん」


「神子……」


 泰明はあかねを抱き寄せると、顔を自分の胸に押し当てながら柔らかい髪に口づけた。

「神子……心の臓の音が聞こえるか?」
「うん。鳴り響いてるよ」


 ――そうか、神子、お前には聞こえるのだな。
 ならば、お前とならば、生きていけるのかもしれない。


 泰明がクスっと小さな笑い声を洩らした。

「何がおかしいの?泰明さん?」
「いや……まだまだ知らぬことがあるものだと思っただけだ、問題ない」

 あかねが『ヘンなの』といった顔で見上げ、再び口をひらいた。

「あの……それで……私はここに残ってもいいの?」
「お前もまだまだ知らぬことがたくさんあるようだな」

 そう言って泰明があかねを抱く腕に力を込めると、泰明には、あかねの頬がバラ色に染まっていうように見えた。



 ――神子、どうしてそんなに頬を染める?
 恥ずかしさに頬を染めるのか?嬉しさに染めるのか?
 それともお前は「あれは夕焼けのせいです」とでも言うのだろうか。




[了 / 時の流れ]