カチャっと陶器の重なる音が聞こえて、あかねは慌ててカードをスケジュール帳に挟み、元にあった場所へ戻すと何ごともなかったかのように座りなおした。
「はい、お待ちどうさま」 「ありがと」
頼久が2つのカップをテーブルの上に置く。あかねのほうに置かれたカップの脇にはスティックシュガーが2本ちょこんと乗っており、あかねはそれを掴むと2本ともテーブルの端っこに置いた。
「ん?今日は砂糖いらないの?」
頼久が不思議そうな顔であかねを見る。
「うん、いらない」 「へんだな。いつもは無いと怒るくせに」 「別にへんじゃないよ」 「そうかぁ?へんだよ。さっきだってロビーでずっと立ってたりして・・・何かあった?」
あかねの脳裏に再びピンク色の包みがちらつく。 確かあの郵便受けは6階の列だったような気がする。 頼久の部屋も6階・・・もしかして頼久さんへのプレゼント?・・・ 考えすぎだよね・・そう思っていた疑問は、スケジュール帳に挟まっていたカードを見てから大きくなってゆくばかりだ。
「ねえ・・・」 「ん、どした?」 「頼久さんさ、今日、自分の郵便受け見た?」 「郵便受け?見たけど何で?」 「ううん、もしかしたら郵送でプレゼントが届いてるかもしれないじゃない?」 「残念ながら届いてなかったよ。悪いね、君の彼氏はそれほどモテないんだ」 「そうかなぁ」 「そうだよ。ん?なんかおかしいぞ今日のあかねは。まだ何か聞きたいことあるかい?」
「まだある?」そう頼久に訊かれ、思わず目がいったのはテーブルの上のスケジュール帳だった。あかねの視線を頼久もまた追う。
「これかい?」
頼久はスケジュール帳を手に取ると、あかねに見せるように胸の高さにかかげた。
「うん、そのスケジュール帳買ったの?」 「いや、同僚からもらったんだよ」 「・・・バレンタインに?」 「え?」 「あ、だからバレンタインのプレゼントかなって思って」 「違うよ、この前さ、一つプロジェクトが成功してね。そのお祝いだって」
頼久がクスリと笑う顔に、あかねの眉が顰む。
「だから言ったろ、俺は君が思うほどモテないんだって、それに・・・」
頼久は、黙ったままのあかねの手を取ると、指先にチュと口づけてから両手でしっかりと包みこんだ。
「あかね以外の誰からも何も欲しいなんて思ったりしないよ」 「私・・・プレゼント・・・無いの」 「そんなの気にしないで。俺はあかねがいればそれでいいんだから」 「私なんてプレゼントの代わりにならないよ」 「そんなことないさ。ほら、ここにちゃんとリボン付いてる。あかねがいてくれるだけで最高のプレゼントだよ」
あかねの胸元のリボンをちょんと指ではじく。頼久がそのまま肩を抱き寄せ、いつものようにキスをしようと顔を近づけたとき、あかねはすっと身を引いた。
「やめて」 「あかね?」 「やだ、やめてよっ」
頼久の手を振り解いて、あかねは叫ぶように拒否した。驚いた顔で見つめている頼久に何とか説明しなければと思う。
「わ、私っ・・・プレゼントになんかなれない」 「わかってる。ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ」 「ち、違うの、あの、私、駄目なの。ぜんぜん駄目なんだよ」 「あかね、落ち着いて、何が?あかねの何が駄目なの?」 「・・・何も無いの。プレゼントも・・・・それにチョコも無いの」 「え・・・」
チョコも無い、そう言ってしまってから、あかねは後悔した。明らかに落胆した頼久の表情がつらい。チョコならちゃんとバッグの中に入っている、けれど出来そこないのチョコが頭に浮かんで、思わず口から出てしまっていた。
「ごめんなさい頼久さん」 「いや、いいよ。でも、そのバッグの中にあるのってチョコじゃ・・・ないの?」 「ごめんなさい」 「謝ることはないよ」 「ごめんなさい・・・私・・・頼久さんに似合わないんだよ。駄目なんだ。私すごく汚い人間なんだよ・・・」 「ちょっと待って、何言ってるんだよ。お願い、落ちついてあかね」
少しずつ後ずさりしてゆくあかねの体。頼久はあかねの手首を掴むと自分へと引き寄せ、きつく抱きしめた。だが、あかねはなおもその腕の中から逃れようともがいていた。
「あかね、本当に今日はおかしいよ。何があったの?お願い、全部話して」
「あかね、お願いだから」頼久はあかねの体を抱きしめたまま、できるだけ優しく、何ひとつ壊さないよう、そう願いながらあかねに訊く。
「私、すごく汚いの。醜い人間なんだ。だから頼久さんは私なんかといちゃ駄目なんだよ。頼久さんにはもっと・・・」 「もっと?」 「もっと・・・素敵な人が・・・」 「あかね、本当にそう思ってるの?本気なの?ねえ、あかね」 「・・・・・・違う、私ほんとは頼久さんといたい。もっともっとっていつも欲張って、嫉妬ばかりして・・・さっきだってスケジュール帳買ったの?なんて・・・カード見たくせに、カードにまで嫉妬してたくせに、買ったの?なんて聞き方しかできなくて、ポストのプレゼントも、全部、今までも、何もかも、嫉妬ばかりしてて・・・・それなのに私・・・」 「何言って・・・」 「だから、私の心すごく汚いんだよ。醜い人間なんだよっ」 「あかね、待って。ちょっと俺の話聞いて」 「やっ。だから頼久さん私になんか触っちゃ駄目っ。触らないで」 「・・・・嫌だよ」
いきなり力強く抱きしめられたあかねが思わず、あ、と声をあげる。が、頼久は腕の力を弱めなかった。
「あかね・・・それは、一緒だよ俺も」 「え?」 「同じってこと・・・いや、もしかしたら俺のほうがずっとかも」
頼久はあかねの背中から肩へゆっくりと腕をまわすと、落ち着かせるように何度もその肩を撫でた。あかねの体から少しずつ力が抜けてゆく。 そうして、あかねが落ち着くのを待って頼久は話し始めた。
「ねえ、あかね。俺が今すごく嫉妬してたってわかった?」 「ううん。だって頼久さん・・・いつも通りで、冷静だったし」 「必死なんだよ、これでも。さっきからそのバッグの中のチョコが誰に渡るのか気になって仕方ないしね」 「これ・・・ほんとは頼久さんへのチョコなの。でも上手くできなくて恥ずかしかったから」
あかねは照れながらそう言うと、バッグからチョコの包みを取り出して、おずおずと頼久へと手渡した。
「よかった。これでよく眠れる」 「大袈裟だよ。あ、それねリボンじゃなくて、紐で結わいたんだ。ムードないよね」 「そんなことないよ」
そう言って微笑む頼久の顔は普段と同じものだった。が、すぐに真剣な顔であかねを見つめた。
「あかね、好きだよ。君がどんなに自分を汚いなんて言ったって・・・俺は君が好きなんだよ」 「頼久さん・・・」 「俺はね、多分、君が思っているよりずっと君を好きだし、いつだって嫉妬してるよ」 「・・・・・」 「そんな風に見えない?」 「うん」
コクリと頷くあかねの頭をそっと撫でると、頼久は目の前にあるチョコの包みに指を伸ばしながら、少し怒ったような困ったような顔をあかねに向けた。
「例えば・・・いつもこんなふうに思ってるんだ」
頼久の指が結わいてある紐の先を引っ張った。紐はスルスルと解けてゆき、チョコを包んだ紙は、まるで花びらが開くように音も立てずにふわりと周りへ倒れてゆく。
「君を縛り付けたいってね」
あかねの首にゆっくりと紐がまわされ、喉の真ん中でキュと結ばれた。軽い締め付けにあかねが小さな声をあげる。
「こうやって、優しいリボンなんかじゃなくて・・・もっと、ずっと、きつく・・・君を縛っておけたらいいって、いつだって思ってるんだよ」 「っ、頼久さんっ・・・」
生まれて初めての出来事にあかねの瞳にうっすらと涙が滲む。だが不思議と嫌悪を感じることはなかった。ただ驚いた。いつでも優しい微笑みをくれる頼久が自分をこんな風に思っていたことに驚いていた。
「ごめん、痛かったかい?」
あかねの涙に動じることもなく、頼久は結わいた時と同じようにゆっくりと紐をほどいてゆく。そして、ほんの少し首に残った赤い紐の痕を何度か指でなぞり、そのたびにビクっと体を震わすあかねを見て目を細めた。
「これだけじゃないんだよ」 「え・・・」 「あかね・・・縛ってくれる?」
頼久が両腕を揃えて、あかねの前に突き出した。
「ちょっと待ってよ。本気で言ってるの?」 「ああ、さすがに男の首には短いからね」 「そうじゃなくてっ!本気で縛れって言ってるのかって訊いてるのっ!」
頼久はあかねの指に紐の先を握らせると深く頷いた。
「できないよっ」 「お願いだから」
あかねが頼久を見つめ、頼久も目を逸らさずに、さらに前に手を突き出してゆく。あかねは覚悟を決めると、ぎこちない手つきで頼久の手首に紐を回した。一周させて、片方の紐の先をもう片方の下にまわし、両端を引っ張って締め上げた。
「ありがとう。俺・・こうされたいとも思ってたんだ。・・・つっ」 「ごめん、痛い?すぐほどくから」 「待って」 「でもっ」 「駄目だよ。ほどかないで・・・」
あかねは困惑しきった顔で頼久を見る。指先にはまだ紐が絡んでいた。あかねのその手を縛られたままの頼久の両手が包んでゆく。手首から先、掌だけであかねの両手を重ねて閉じ込める。
「あかね、俺ね、君を縛るだけでなく、君に縛られたいって思ってた。君に縛られて、そのままずっと縛られたままでいたいとも」 「頼久さん・・・」 「いつも嫉妬してたからね。俺だけのものなのにってさ。だから縛ってしまえればどんなにいいかって」 「嫉妬なんて思ってもみなかった。いつも私だけがそう思ってるって・・・」 「だから言ったろ、必死で隠してたって・・・こんな俺は醜い?」 「ううん、そんなことない」
あかねの頬に涙がひとつ伝った。頼久はあかねの手を離すと、その涙を自分の指先でぬぐい口に含む。そして赤くなった首をもう一度なぞってから、あかねの頬に手をあて包むようにして自分の顔へと引き寄せた。ぬぐったはずの涙は後から後から溢れ出し頼久の手を濡らしてゆく。
「こんな俺は嫌い?」 「・・・・」 「こんなふうに好きになられたら困る?」
あかねは言葉も出ず、ただ、ふるふると首を左右に振った。
「こんな俺でも好きでいてくれる?」 「・・・・うん」
頷くしかなかった。好きだと言葉で伝えられないぶん、あかねは深く深く頷いた。 頼久の唇が頬を掠め、あかねの唇へと移動してゆく。 キスされる・・・そう思った途端、あかねは少し身を引いてしまう。全身が震えて、好き、と肯定しているというのに。
「あかね・・・好きなこと怖がらないで。大丈夫、目を閉じて」
触れるだけの優しい口づけに、あかねはゆっくりと目を閉じてゆく。唇に神経の全てが集中して、そこから熱が湧き出して全身をかけめぐる。
困る、困る・・・もっと欲しくなる。もっと欲張ってしまう・・・頼久さんの全部がほしくなる。自分の醜い心が頼久さんに伝わってしまう・・・。 頼久の胸を、拳がゆるく叩く。困る・・・頼久さん、私、困る。
頼久はその手を、きゅっと掴むと、薄く開いたままの唇に舌を挿し入れ、あかねの全てを、溶け出す思いをも飲み込むように強く吸った。
「あっ・・」
あかねが唇を離した。
「あかね・・・君の好きなだけ俺を求めていいんだ」 「・・・・」 「醜くなんかないよ。汚くなんかない。それでもあかねがそう言い張るなら・・・全部俺が吸い取るから。唇も舌も、心も・・・」 「頼久さんっ」
あかねは離してしまった唇を今度は自分から重ねてゆく。好き、とも、愛してる、とも、何も言えずに頼久に抱きついた。言葉よりも先に心が欲していた。
醜い心など溶かしてしまえばいい。汚い心なら吸い取ってしまえばいいんだ。 欲張って、縛り付けて、それでも愛しているから・・・
「俺はもう・・我慢なんてしないから・・・愛してるから、きっと、もっと、欲張るんだ」
頼久のその言葉を、体の奥の方でうっとりと聴いた。目を閉じて頼久を感じた。 もっと触れたいから・・・頼久が胸のリボンを唇に挟んで引っ張る。あかねも頼久の手首を締め付けていた紐の先を唇で引いた。 もっと触れたいから、もっと触れてほしいから。
頼久の言葉で掌で、体が心が満たされてゆくのを感じる。閉じた目蓋の奥であついものが溢れていた。
気が付けば、部屋の中は紐をほどかれたチョコレートの香りに包まれていた。
あかねも頼久も見えないリボンに縛られながら甘い息に満たされたいた。
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