赤い林檎に唇を寄せよう・・・・・









普段ならば急患やら急変やら、もしくは経験という名の先輩からの突然の命令などで、帰る時間などあってないような涼の研修医生活。
だが、今日に限ってはめずらしく何事もなく日当直の勤務を終え、完全に日が暮れてしまう前に家路につくことができた。


深夜にしか通ったことのない道を、まだ明るいうちに走るというのも妙な感覚で、何度も通っているはずなのに、涼は初めての道に車を走らせている感覚を覚える。
コンビニに、100円ショップ、ドラッグストアーにファーストフード・・・どの町にも当たり前のようにある店が並ぶ商店街を抜け、自宅にほど近い場所まで戻ってきた時、どこからか太鼓の音が聞こえてきた。


・・・そういえば、


里緒から夏祭りに行こうと誘われていたことを思い出した。
その時は「まず行けないと思うよ」と里緒には答え、そして自らも行けるわけがないと思っていた。まさか夕方という時間に帰ることができるなんて夢にも思わなかったのだから。
太鼓の音は、里緒の言っていた近所の神社の夏祭りなのだろう。


・・・こんな時間に帰れるなんてな。神様ってやつも気まぐれなもんだ。


涼はクスリとひとつ笑うと車を停め、ポケットから携帯電話を取り出し、掛けなれた番号を器用に押してゆく。待っていたのかもしれない電話の相手は涼の声の後ろに太鼓の音を聞きつけると「すぐに行くから」と嬉しそうな声を出した。


「いや、車だし、一旦帰るから急がなくていいよ。したくして待ってて。いい?絶対に慌てて出てきたりなんかするなよ?お前が慌てるとろくなことないからな」


ここで里緒の言うことをきいて待ってるなんて言ったら、里緒は慌てて飛び出してくるにきまってる。戸締りだって忘れかねない。なにより一番心配なのは事故に合うことだ。
それに、二人で出かけるってのも悪くないじゃないか。


「ねえ、いいね?里緒、わかったね?」


うん・・・涼兄がそう言うなら、とあからさまに不服そうな声を出す里緒に念を押すと涼は再び車のアクセルを踏んだ。








「私も浴衣着てくればよかったなぁ」


決して大きくはない神社の夏祭り。それでも夜が深くなるにつれて家族連れや恋人達で境内は賑わっていた。そのほとんどの人たちは普段着のままで立ち並ぶ出店をひやかしていたが、中にはキチンと浴衣を着ている女の子もいて、やはり夏祭りらしいその装いに、同年代の里緒は目がいってしまうのだろう。


「え?別にいいじゃないか。その格好おかしくないぞ」


「おかしくないかもしれないけど、可愛くないもん」


「里緒は何着ても可愛いよ」


「嘘ォ」


「ほんとだよ。嘘なんてつくと思うかい?大丈夫、里緒は可愛いよ」


「・・・・っそんなことないよッ」


涼は、ムキになったように大きな声を出す里緒に苦笑する。


---そんなことあるさ。可愛いもんは可愛いんだから仕方ないのに。


「ほら、行くぞ。輪投げやるんだろ?」


涼がそう言って里緒を促そうとした時、二人の目の前を浴衣を着た三人組の女の子が横切った。


---タイミング悪すぎ・・・・


「やっぱり浴衣着ればよかった・・・・」


「あ・・・」


「だいたい涼兄が悪いんだよ。行けないとか言ってたくせに今日になって急に行こうなんて言うから。準備だってできなかったし・・・私だって浴衣持ってるのに。着ようって思ってたんだよ。だけどさ、涼兄が電話で・・すぐそこまで帰ってきてるって言うし・・・もう、もうッ涼兄が悪いんだからッ!!」


俺のせいだって言うのかよ?・・・相手が里緒でなければ涼もまた食って掛かかるだろう理不尽な理由も、里緒の気持ちもわかるだけに、ただ曖昧に笑うしかなかった。そしてこのいじましいほどの言い訳に愛しさは余計につのることなど里緒は知らない。


---ごめん里緒。ごめんね。約束してあげればよかった・・・
今度は絶対に約束して、守って・・・だから今日はごめん・・・


「里緒・・・ごめん」


はっとしたように顔を上げた里緒に、涼はもう一度ごめんと謝った。


「あっ、あ、私こそ・・・ごめんなさい」


「里緒が謝る必要なんてないだろう?」


縮まってしまった里緒の心をほぐすように涼がやんわりと微笑む。
だが、里緒の顔は真剣なまま涼を見つめていた。


「里緒?」


「ごめん涼兄。別に涼兄のせいじゃないのに。涼兄は遊んでるわけじゃないってわかってるのに・・・」


「里緒、ねえ、もういいから」


「ううん。駄目。私意地悪なこと言ってほんとごめんなさい。でも、でもね涼兄、私・・・涼兄に見て欲しかったから。せっかくつくってもらった浴衣、涼兄に見て欲しかった・・・あっ」


里緒が言い終わらないうちに涼は里緒の手をギュっと握りしめた。


「わかってる」


「え?」


「わかってるよ。それに俺だって里緒の浴衣姿見たいよ」



---だから・・・・



「今度また二人で出かけよう。その時はきっと浴衣を着ておいで」



約束だよ・・・・


そう耳打ちされた言葉は・・・まるで秘密を知られたようで、秘密を知ったようで・・・里緒の頬は真っ赤に染まった。
そして照れ隠しのように涼の手を引くと、まばゆい光を放つ出店の並ぶ中へと強引に入っていった。


「あっ、りんご飴」



里緒の指差す先に、甘いりんご飴がいくつも並び、その一角だけが赤く色づいていた。



---ふっ・・・
ここにも真っ赤なりんご飴があるってのに・・・でもこっちは姫林檎ってところかな



なあに?と言いたげな里緒に、なんでもないと首を振ると


「さあ、完全制覇といきますか、お姫様?」


軽く肘を曲げ、里緒の腕を自分の腕に絡ませた。




「どうしよう。何から食べようかなぁ」と迷い顔の里緒とはうらはらに、涼は迷うことなく・・・手始めに・・・一番美味しそうな姫林檎に唇を寄せた。










終わり



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