その日は珍しく、神泉苑に人の姿は皆無だった。

幸鷹は水辺近くまで歩くと、風景を確認するように、ぐるりと周囲を見回した。
目の前に広がる水面に視線を落とすと、日の光できらり、と光る。

『――それが好きで、ついここには長居しちゃうんです』

彼女の声が聞こえたような気がして、自嘲混じりのため息がこぼれた。
眉間に縦皺ができていくのを自覚しながらも水面を見つめ続けていると、不意にすぐ近くで、聞き慣れた声がした。

「……すごい顔してるぞ」

驚いて声のした方向に顔を向けると、やはり水面に視線を落としている青年の姿があった。
「…お久しぶりです、勝真殿」
「……なんか、痩せたんじゃないか?別当殿」
やっとこっちに顔を向けた勝真は、すぐに顔をしかめて幸鷹を見つめた。
「勝真殿も」
苦笑混じりに指摘すると、瞬きをして、再び顔を水面に戻してしまった。
「……貫禄がついた、とか…お世辞でもいいからそう言えよ」
ぶすっとしたその声には、力がなかった。
「……」
それにどう返事をしていいのか分からず、幸鷹も水面に視線を戻した。

水の上で、光が弾ける。

「………もうすぐ、また秋だな」
「…そうですね」

紅葉が溢れかえる京の町を駆け抜けたあの日々から、もうすぐ一年が経とうとしている。
あの時と変わらないようで、違う日々。
帝側、院側という派閥争いも今ではすっかりなくなり、どこへでも堂々と行けるようになった。
こうして勝真と会話してるのを誰かに見られても、言い訳を考える必要はなくなった。

最後まで諦めないで戦ってくれた少女が、それをもたらしてくれた。

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「…実をいうとな」
ぽつん、と勝真がこっちを見ないで言葉を発した。
「はい…?」
「別当殿が、しょっちゅうここに足を運んでいるのは…見かけていた」
ぎょっとしたように、幸鷹が顔をあげて勝真を見た。
勝真は相変わらず水面に視線を落としたままでいる。
「…俺も気がついたらここに来てるからな………多分、同じ理由だよ」

花梨という名の、「龍神の神子」と呼ばれた少女は、ここで消えた。
京全てを覆った、真っ白な光とともに。

「あいつに会えるわけないの、分かってるんだがな」
自嘲を込めて、吐き捨てるように言った勝真の言葉に、幸鷹は穏やかに声をかけた。
「……もしや、勝真殿は……」
瞬間、はっきりと分かるほどに勝真の肩が強張るのを見て、幸鷹は一瞬黙った。
そして、考えていたのと違う言葉を続けた。
「…神子殿に、お会いしたいのですね」
返事はないが、幸鷹はそこから肯定の雰囲気を感じ取った。
勝真はまるで睨み付けるような勢いで、水面を見つめ続けている。

秋を告げるような、涼しい風が二人の頬を撫でる。

それをきっかけにして、幸鷹は勝真を呼んだ。
「勝真殿。…私は確かに、暇ができたら神泉苑に足を運んでいますが………勝真殿と理由は違うか、と」
「…は?」
怪訝そうな視線を頬に感じながら、幸鷹は水面を見つめた。
彼女が好きだ、と言っていた光が、水面が揺れるたびに次々に生まれる。

「神子殿の世界の昔語りですが…『人魚姫』という名の話があります」
唐突に語り出した幸鷹を見つめて、勝真はますます分からない、といわんばかりの表情を浮べているが、口をはさむことはなかった。
「こちらでは、人魚の肉を食らうと不老不死になる、と言われてますが……神子殿の世界での人魚は、その体を捨て、私達と同じ体になったんです」
「……不老不死を捨てたのか?」
「はい。……一人の青年に恋をして」

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彼女は、紋様の刻まれた仮面に覆われた、黄金の髪を持つ青年に恋をした。

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「そうして彼女は、その青年に会うのですが、青年はすでに他に恋人がいらっしゃいました」
勝真は黙って、幸鷹の話に耳を傾けている。
「人魚は私達と同じ体になったとはいえ、不完全な体でした。……青年との恋が実らないと、消えてしまう運命にありました」

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百鬼夜行に自らの身を供物として、生きたまま怨霊となった青年を呆然と見ていた彼女の姿が目に浮かぶ。

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「…元の姿に戻ることはできなかったのか?」
「方法はありましたが…それは、青年を殺すことでした」
息を飲む気配が聞こえた。

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好きになった人を倒さないと、京は滅びる。
だけど戦えない。戦いたくない。
彼女の哀しい程に見開かれた目が、それを告げていた。

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「………結局、どうなったんだ?」
「……青年を殺す事はできなかった。人魚は、海にその身を投げて、消えました」

水の中に飛び込んだ人魚姫の体は、次の瞬間、泡となってしまいました。

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「確かにその話を聞いてると、花梨の行動に重なるな。……だから、ここに来ると花梨を思い出す、ってことか?」
複雑な表情を浮べて、勝真は幸鷹に問いかけた。
それには返事をせずに苦笑して、再び水面に視線を戻した。

光を反射して、きらきらと輝く水面。
その輝きは、あの時の光に似ていた。

龍神をその身に取り込み、次の瞬間、京全体を覆わんばかりの光を溢れださせた彼女は、ためらう事なく走り出した。
怨霊と化した青年に向かって。
それに気づいた幸鷹はとっさに、彼女の腕を強い力で掴んだ。
驚いたように振り向いた彼女に、幸鷹は何を言ったのか。
「行かないで下さい」だったのか、「危険です」だったのか。
だけど幸鷹の制止の言葉に、彼女は微笑んだ。

――――掴んでいる手の力が抜けた。

彼女は再び、彼に向かって走り出した。
それを止めることは、できなかった。

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「思い出すというのは……半分は、その通りですね」

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彼女はもともと「笑顔」の時が多くて、あとは怨霊と向き合う時や話し合いの時に見せる真面目な顔。
そして時折浮かべる、哀しそうな表情。

『最初』から、彼女はいつも同じ笑顔を浮べていた。
不安そうな顔の紫姫や、不満をあらわにする深苑殿にも、そして最初の頃、彼女が「龍神の神子」を騙っていると疑いを持っていた者たち――私を含めて――にも、笑顔を見せていた。

そして時が過ぎ、彼女が龍神の神子と信じられる程の力を見せ、皆に認められるようになってからも、その笑顔は変わる事がなかった。

…私は大馬鹿もいいところだ。
もっと早く気づいていればよかったのに。

その笑顔が、心からのものではない、ということを。
最後のあの微笑みで、それに気づいてしまった。

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「半分…?」
「思い出すのは確かに神子殿のことですが………見る事ができなかったものを見るために、ここに来ているようなものですね」
「…??それは、一体何だ?」

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どんどん光が溢れ、眩さに目を開けていられなくなった幸鷹の目に最後にうつったもの。

消えて行こうとするアクラムに手を伸ばし、抱きついた彼女の笑顔だった。

最後に幸鷹に見せた微笑みよりも、遥かに、綺麗だった。

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水面が揺れて、光が溢れた。

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「…先ほどの話の続きですが、人魚は確かに叶わぬ恋をして、消えましたが」

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一瞬で生まれ、消えるその光の中に、彼女の最後の笑顔が見えるような気がして。

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「彼女は海に飛び込んだ時は、笑顔だったような気がしてならないんです」
「…何故?」
「強いて言うならば…「守ったから」でしょうか…」

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私も、そして隣にいる彼も、見る事の叶わなかった笑顔。

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「後悔のない、笑顔、か」
幸鷹の考えを読み取ったかのように、勝真はぽつり、と呟いた。
「………別当殿はそれを、見たんだな」

その言葉に含まれている感情を聞き取って、幸鷹は瞳を伏せて微笑んだ。

「………今日も、いい天気ですね」
「…………そうだな」

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泡となって消えた人魚姫は、それでも後悔はしてなかったと、思う。

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きらきらと、泡のように周囲に光が溢れる中、確かに彼女は微笑んでいたのだから。

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――終


いろんな神子ちゃんのお話があると思いました。
そしてこの神子ちゃんもまた、私が書きたかった神子ちゃんでした。

人魚姫というお話を、あの子どもの頃はどう感じて読んでいたのだろうか。
叶うことなら、あの頃の私に直接尋ねてみたいです。
きっと、今私が持っている感想と違うはずだから。

いつも仲良くして下さるしえさんに、愛と感謝を込めて。

2002.9.10 彗








「アクラム×神子・ダーク・人魚姫」・・・と、彗さんにリクエストをして書いていただいたお話です。
当時、初めて、遙かのコミックを読み「アクラムって、実は(顔とか)一番かっこいいんじゃない?」なんて思っていた頃でした。
その熱の余波を彗さんにも押し付けてしまいました。笑顔だった、というのが良いですよねー。
何が良くて、何が悪い・・・・そんなのは最後は自分で決めることですもんね。
彗さん、リクエストに応えてくださって、ありがとうございました!
(shie)